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ぶらっと嵐山へ京都府縦断 秋の紅葉編 その4 |
結局、天井川に関して、何の発見も無いまま、住宅街をうろうろとしていました。それにしても、最近作られた住宅街なのか、袋小路になっていて、どうやら開発会社ことに整備した結果、見えているところなのに、そこにたどり着くのは大変といった状態になっています。もっときちんと都市計画をしてくれ!って感じなんですが、もう、出来上がったものはしょうがないんでしょう。というか、私みたいな不審者を迷わす為にこの様な造りになっているだけなのかもしれません。 |
と、住宅街の向こうに鬱蒼と木が生えた場所があります。そこにたどりつくと、その名も「天皇の杜古墳公園」という公園に出ました。天皇の杜古墳の周囲を公園として整備しているらしく、東側は、中学生以上が、西側は小学生がそれぞれ遊んでいたのが、妙に印象的でした。 天皇の杜という名が付いているということは、本来ならば宮内庁管轄のはずなんですが、どうやら当初は天皇家ゆかりの古墳とされていたのですが、この地方の豪族の墓ということがわかり、名前だけ天皇の杜古墳と残ったそうです。 ちなみに、こちらの古墳は、古墳の代名詞とも言われる前方後円墳で、京都府、特に淀川右岸ではほとんど無い古墳の中でも際立って綺麗な形の古墳だそうです。 近畿地方というと、古墳が沢山ありそうな気がしていたのですが、どうやら古墳は、大阪〜奈良に集中している様で、京都ではほとんど無いそうです。また、古墳というのは、権力の象徴だそうで、地方においては中央と密接なつながりがあるかの指標になっているそうです。 京都に古墳が少ないということは、当時、中央とはあまり密接なつながりを持つ後続が少なかったということなんでしょうか? |
そのまま天皇の杜古墳公園を通りすぎて、再度東に進路を取って、本来の道に戻ろうと修正します。ここらも複雑な道になっており、調整池を超えて、階段を降りると、大きな溜池(西京区樫原池ノ上町付近)に出ました。どうやらこのため池が先の天井川の水源になっているのかと思うのですが、これもあまり確証が持てません。その様な川の形が目に付かないんです。 本来の道に戻ったものの、天井川に関することは全く何も得られなかったので、妙なことに時間を使ったものがと思いながら、再度、南に進路をとりました。このあたりになってくると、歩道もあまり整備されていないので、車通りが多いと、ちょっとつらく感じます。 しばらくいくと、「物集女」という地名が目に入りました。そう家は、阪急電車が新駅を建設している場所・・・って、いつの間にやら桂駅を超えていたということになります。今から戻るのも馬鹿らしいので、そのまま東向日か西向日へ向かうことにしました。 こちらの車道はえらく車の往来が激しく、東側の道路の方が安全に思い、田んぼの中の道を歩いて、そちらの道に向かうことにしました。山の向こうに太陽が隠れてしまいそうな状態になってきており、日暮れが近づいているということがよく分かります。まだ、4時過ぎなのに・・・。 |
田んぼを超えて、その道路にたどり着くと、ちょうど阪急物集女駅(仮称)の工事の様子が見えました。屋根の形が特徴的な感じがしますが、これだけ周囲に田畑が広がる位置に突然駅ができるというのも、なかなか驚きな感じがします。ここも、10年後ぐらいには、随分と雰囲気が変わっているのだろうなぁなんて思いました。 再度、進路を南に取り、歩いていきます。日は山の向こうに隠れてしまいましたが、まだまだ、明るい感じがします。というか、夕焼けらしい日が見られなかったという方が残念で、盆地で山が近いと、夕焼けもあまり見ることができないのかと思った次第です。逆にここからだと、朝焼けの方が綺麗なのかもしれません。 |
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