歩いて約30分。大海崎橋の付近にやってきました。やはり、鉄条網は続いています。ということは、立ち入り禁止区域だったのかと、不安に思います。一カ所、何とか出ることができそうな部分があったので、そこから道路に出ることにします。大きな看板があり、中海干拓工事の一環として道路を作った旨の掲示があります。そして、昭和54年から昭和64年までの間、町に貸し出すといった旨のことが書かれてありました。また、工事施設であるから為、立ち入りは禁止である旨も合わせてかかれてあり、私は、しっかりと違反してしまったということになります。しまった・・・と後悔するものの、もう後の祭り。あきらめることにします。ということで、この土手は歩くことができないので、注意してください。
後で知ったことなんですが、中海干拓によりこの道路を作ったそうですが、工事用だった為に、当初は全面的に一般の車は通行ができなかったそうです。当時は、江島から水門を経由して米子方面に向かったか、合同汽船により松江に渡るかのいずれかの方法しか無かったそうです。その水門も、淡水化事業によりできたものでしたので、本当に中海に浮かぶ島で、交通の不便が人口流出という問題になっていたそうです。この工事用の道路を一般に開放してもらえないかと、住民の期待に押される形で、農林省から10年間の貸し出しとなったそうですので、どちらかというと、渋々といった形での開放だった様です。でも、現在は、この道路が県都と大根島を結ぶ重要な道路になっていることは間違い無く、この堤防道路がもたらした経済的効果は計り知れない様です。
現在は、干拓事業そのものが中止になっていますから、今後、堤防そのものの開削といったことも検討されている様ですが、道路はもちろん確保される様です。となると、歩道の整備や、土手なども合わせて整備されると、風光明媚な中海をより身近に感じることができる様に思うんですけどね。
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