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干拓とぼたんの中海の島大根島編(2004/2/7〜8)

 

大根島から見る中海 由志園を出て、入江に向かうことにします。今回、大根島にやってきた目的の一つが、廃船を見るということにあったので、これを外してしまうと、本末転倒ということになってしまいます。八束小学校の前を通ると、小学校を囲む塀に、絵が書かれてあるのが、目に止まります。絵の上手な児童の絵画を壁面に描いているんだなぁと思って見ると、なかなか面白いと感じるものがあります。そこには、「三年」とか「一年」と書かれてあり、なんで、名前を書いていないんだろう?と不思議に思いつつ、八束小学校を通りすぎたところで、ようやく気づきました。どうやら、学年全員で描いたものの様です。毎年、この絵が変わるのであれば、いい授業だなぁとおもいます。
 坂を下ると、ちょっと遠くに中海が見えます。日差しが出てきたので、光りが中海に反射して、綺麗な風景を見せてくれます。ふと、左手を見ると、広大な畑で、なんとなく「北海道!?」と思えてきます。広大な畑というのは、北海道以外ではあまり見ない気がするんですよね。本州では、広大な畑では無く、広大な田んぼといった感じです。どちらも好きなんですけど。
 そうそう、畑で思い出したのですが、大根島は牡丹の他に、「高麗人参」で有名だそうです。大根島の名は、高級な高麗人参を栽培していることを隠すために名付けたとも一説では言われているぐらい、昔から高麗人参が栽培されていたそうです。由志園でも高麗人参に関する商品が販売されていました。
  

 さて、細い路地を抜けると、入江に出ます。バス停周辺は駐車場になっており、バス停そのものも、待合室が併設されていますから、そこそこ大きな集落の様です。その中海に、朽ち果てた漁船を数隻見ることができます。一体、何故ここに廃船が放置されているのかを考えると、妙な気持ちになってきます。風が強く、湖からの風に飛ばされそうな感じがします。沖合には、京島という島を望むことが出来、その向こうには、松江へ続く道路を見ることが出来ます。船着場の様に思えるところには、古い電柱が寂しげに立っています。電線が切られているので、現在は使われていない、放置された電線ということになりそうです。
 目を船に移し、色々と考えてみます。数隻の船が放置されているところから、考えると、台風か何かで使えなくなった船なのだろうかと思います。入江から田島に向かって、5〜6隻の船を見ることができます。このあたりからは、現在は漁船は出ていない様で、海苔か何かを採る為の小さな船を見ることが出来るぐらいです。
 しきりに、廃船を見ながら、松江へ伸びる道路の方に歩を進めます。と、そのとき、ふと一つのことに気づきました。この考えが正しいか正しくないかは判りませんが、私の中で一つの答えが出てきました。というのも、松江へ伸びる道路というのは、中海の干拓事業の為に作られたものなんですよね。つまり、あの道路は、道路を作る為に出来たのではなく、干拓事業を行う為の堤防として作られたものなんですよね。ということは、確信は持てませんが、その干拓事業の為に役割を終えた漁船だったのでは無いかと思ったわけです。

八束町入江から見る元中海干拓予定地  元中海干拓予定地に沈む廃船

 現在では、中海干拓事業は、宍道湖の淡水化事業と共に中止が決まったそうですから、その状況をこの漁船はどう見ているのかと思ったりします。中海干拓に関して、どの様な経緯でその開発が進められ、どの様な経緯で中止になったのかわかりません。ただ、目の前に横たわる廃船に、手を合わせたくなりました。

 

 そんなこんなを考えつつ、連絡道路に立ちます。田島のバス停から松江行きのバスがやってくるまで、約1時間ほどありますので、この際だから、連絡道路を歩いて、大海崎橋からバスに乗ることにしました。中海を間近に感じることなんてできないですからね。ただ、車通りが激しく、横の道を歩くのは、結構怖い感じです。ふと、道路脇を見ると、鉄条網が一カ所だけ無くなっているところが、そこから、細い獣道の様なものが続いています。ちょうど、土手の上に続いている感じで、この土手を歩くのだったら、車の往来を心配する必要も無いだろうと思い、上がってみました。
  

大海崎橋付近から中海干拓予定地を眺める。 すると、土手の上は、アスファルトで覆われていました。最初は、草が大変な生え方をしていましたから、途中で道が無くなったらどうしよう?なんて不安に思っていたのです。これだったら、歩きやすいと、ブラブラと歩いてみると、先の鉄条網が全然途切れません。もしかすると、入ったら駄目だったのかな?なんて不安に思います。でも、私が入った場所は、鉄条網が切られていたというよりも、鉄条網が全く無かったと言える場所だったので、ちょっと不思議に思います。大海崎側で鉄条網の切れ目が無かったらどうしようか?などと不安に思いつつもここまで来たならしょうがないと思って、そのまま歩いていきます。
 土手の上からみる、中海と本庄干拓はいずれも穏やかな雰囲気で、この土手だけが妙な雰囲気です。土手の名は正式には、『大海崎堤防』というそうです。対岸の安来市や東出雲町方面の山々が霞ながらも、綺麗にみることができます。周りに何も無いといった感じで、松江市の市街地方面を望むことができます。やはり、県都といった感じで、松江市方向は、住宅が密集している様に見えます。太陽が、雲の切れ間から綺麗な光を放っているのがとても綺麗に感じます。

  

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