さて、江島を渡って、細長い陸地を北に向かい、島根半島へ向かいます。目的地は「美保関」です。細長い陸地の最北端、美保関町から松江市へ向かうところは、右手側が沼地の様になっているのも、なんだか不思議な感じがします。出来れば、大根島では中海と溶岩隧道に関する資料館なり博物館があれば、個人的には大変面白いと思います。検討していただけないかな?特に、第二溶岩隧道あたりに建設されると、大変良い感じがするんですが・・・。
島根半島を東へ車を走らせます。境水道大橋という巨大な橋を潜ると、少し道幅が狭くなるところがあります。それもそのはず、境水道大橋から先は、県道にかわります。境水道はかなり高い位置に架橋されており、かなり大きな船でも通ることができる様に設計されていた様です。この道路が出来たことで、境港市へのアクセスは格段に良くなったはずで、逆にこれが出来るまでの間は、どの様に交流がされていたのか、気になるところです。(とおもって、後から美保関町のホームページを見たところ、バスは松江市内からのみで、境港市との往来は、いまだに渡船で行われているそうです。ちょっと風流だなぁ?と思いました。)
|
美保関町内を東へ進んでいくのですが、だんだんとうらぶれた雰囲気になります。車の交通量はさほど減っていく様な様子はありませんから、観光名所であることは間違いが無いようです。右手に海、左手に急峻な山という半島特有の地形が続きます。そして、突然漁港の様なところにでると、そこが美保関です。とりあえずの目的地は、美保神社だったのですが、こちらの神社は有名な割に駐車場がなかったのに驚きでした。神社の参道すぐのところにお土産屋さんがあり、そこのお店の方がでてきて、ここに停めろと指示します。これが、一人だけだったら、いいのですが、向かい合わせの両方のお店から出てくるので、こりゃ、どう見ても客寄せでしか無い、お土産といっても、漁港ですから魚の干物などが中心で、あまり購入候補に入っていないものばかりでしたので、駐車するのを諦め、他を探すことにしました。参拝客用の駐車場を用意してくれていてもいいのに・・・と思ったのはいうまでもありません。
しょうがないので、神社を諦めて、美保関灯台へ向かおうと少し走ると、どうやら駐車場らしきものがあり、そこに釣り客が車を停めておられましたので、こちらが無料駐車場なのだろうと勝手に判断して利用させていただくことにしました。神社まで歩いて5分程度なので、それほど遠いわけでは無いのですが、本当に、勝手に車を停めても良かったのかどうかはわかりません。車道を歩いていたのですが、本当に小さな町だなぁといった印象で、目の前がすぐ漁港です。2車線の道路と商店・宿泊施設がひしめき合っているといった感じです。
ちょうど、お腹も空いてきたので、こちらの一件の食堂で昼食をとることにしました。メニューはさほど多いわけではなく、A定食〜C定食と、貝めし定食、そしてカレーと丼物といったものでした。貝めし定食が名物だった様ですので、そちらをいただくことにしました。確か、1800円となかなかいいお値段だったと思います。漁港が近いだけあって、魚介類が豊富に使われています。お刺身の質もしくは量によって値段が変わる用ですが、メニューからは全く想像ができません。ちなみに、貝めし定食は、貝の炊き込みごはんがメインだったのですが、食べてみると「炊き込みごはん」といった感じで、特に貝が豊富に使われているといった感じはしません。色々なおかずが取り揃えられていた感じはしたのですが、さすがにこの値段となると「観光地価格?」と思ったりします。
|
お腹が落ち着いたところで、美保神社に参拝します。雑然とした美保関に木々に囲まれた空間である美保神社に立ち入ると、喧騒を忘れてしまうかの様に感じます。まず、最初に社殿の建て替えに関する寄付金のお願いの看板が目に入ります。で、ここで、驚いたのですが、「東京都 角松敏生」さんの名前があるではありませんか!いったい何故?と思いながらその場をさったのですが、同姓同名にしては、あの漢字は珍しいし・・・と帰ってから調べてみると、昨年(2002年)に『白い船』という映画が公開されたそうですが、その映画の舞台が島根県だった様で、その縁というものだったみたいです。(その後、白い船のDVDを購入して見たところ、特に美保関町とは関係が無い内容でして・・・。うーんと悩んでいると、どうやら角松さん自信が出雲地方に興味を示しているということが何となく分かってきました。直接的な理由は、やっぱりわかりません・・・。)
門をくぐって、拝殿で参拝し、ぐるりと本殿を一周させていただきました。こちらの神社の本殿は、大社造りの本殿をふたつつなぎ合わせた様な形で、御祭神が事代主大神と三穂津姫大神の二柱いらっしゃることに起因するそうです。ちなみに、拝殿はひとつです。神社によると、事代主大神は、大国主命の第一子だそうで、三穂津姫大神は大国主命の妃にあたるそうです。つまり、出雲大社に縁が深い神社ということになるわけですが、事代主大神は一般には、えびす様として知られていると説明にあり、全国のえびす宮の総本社のひとつだそうです。ちなみに、残りは関西に3つと広島に1つあるだけだそうで、十日戎が東日本では、あまり盛大に行われていないということも納得できる気がします。ちなみに、全国には3000宮以上のえびす神社があるそうです(私は、えびすさん=大国主命だと思っていたので、これを知った時は、ちょっと衝撃をうけましたが、これは、私が無知なだけですね)。
境内は、それほど大きいわけでは無いのですが、神門から眺める美保関がなんとも雰囲気がいい感じです。ひととき、時間を忘れさせてくれる様な感じがします。朝の間は曇っていた空が、いつのまにやら日が指すぐらい晴れ渡ってきたことも、演出してくれたのも事実ですが、鳥居の先に海があるという風景は、なんともいいもんです。
|
神社を後にして鳥居をでると、すぐ左手に「青石畳通り」という小道があるのを知り、そちらを歩いてみることにしました。どうも、美保関が賑わっていた頃のメイン通路の様で、そういえば何かの小説に、美保関の町は道幅がせまく、向かいの宿に跨いで向かえるぐらいしか無いと紹介されていたとどこかで読んだ気がするのを思い出しました(なんとも、微妙な表現で申し訳ない(^^ゞ)。
『本当にその通り』というと、大げさになりますが、道幅はかなり狭いと思います。防火体制などは大丈夫か?と、大阪の法善寺横丁の火災のことを思い出したりします。それほど、狭い道幅なんですよ。今は、ひっそりとたたずんでおり、青石畳通りの復興を願って、色々な趣向を凝らしており、静かな観光地が好きな私にとっては、なかなか良い感じです。その道や両側の建物を町おこしの道具として扱っている様で、美保関が関所であった当時の商店の説明が並んでいたりします。おそらく、今とは比べ物にならないぐらいの賑わいで、かつ重要な土地だったのだろうと思います。
その青石畳通りに『美保関資料館』がありました。無料の資料館で、青石畳の復興リニューアルに協力する形で、無料資料館としてオープンしたそうです。展示内容としては、主に「美保関新聞」にまつわることが中心で、美保関が賑わっていた頃のことや、美保関町の成り立ちなどが紹介されていましたが、展示内容としては、いま一つといった感じでしょうか。もうちょっと、美保関の文化や歴史などを突っ込んで説明してくれていると、面白いと感じました。ただし、無料であることを勘案すると、なかなか整理された資料館であるとは思います。
|
続いて、美保関灯台へ向かいました。車で10分程度の距離で、思っていたほど遠くはありません。こちらは大きな駐車場があり、「美保関灯台ビュッフェ」の看板が目に入ります。自動販売機コーナーや売店といった文字も目に入り、こちらはかなり有名な観光名所だったんだとここで、初めて知りました。島根半島の灯台というと、もうひとつ『日御碕灯台』がありますが、あちらは東洋一の大きさで売っていたと思います。こちらの美保関灯台は、明治時代を彷彿とさせる石造りの職員宿舎と合わせて、その優美さを売りにしていた様です。
駐車場からおりて、半島の先にある灯台を見て、『綺麗』と素直に思った灯台です。世界の歴史的灯台100選に選ばれたそうで、確かにその優美さは納得できます(世界の歴史的灯台100選には、日御碕灯台も選定されたそうです)。しかしまぁ、なんちゃら100選とかいうのは、色々とあるもんですが、『世界の』というところに、今回は重要性がある様な気がします。でも、本当に綺麗な灯台です。
ところで、美保関灯台ビュッフェですが、残念ながら今年3月末で営業を廃止されたそうで、一足来るのが遅かった様です。営業休止が1月だったので、昨年のうちにやってきていれば、利用できたのかもしれません。今は、無料休憩所になっており、中には先代の灯台のカンデラ(灯具やランプ)、美保関町をはじめとした周辺自治体の観光パンフレットが置かれてありました。カンデラについてはもう少し詳しい説明が添えられているといいのかもしれませんが、ただ置いてあるといった感じです。ちなみに、初代のカンデラについては、大阪府の岬公園に置いてあるとのことでした。ビュッフェの跡地は、全てを開放しているわけでは無いようで、見晴らしの良い、海側の部分だけ開放しているといった感じです。勿論、売店も営業していませんし、自動販売機コーナーといっても、美保関灯台の敷地入口に飲み物の自動販売機が1機設置されている程度です。せめて、自動販売機はもう少し用意していてもいい様な気がしたのですが、あまり利用者がいないのかもしれませんね。
|