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桜・神社・JALS初めての松山編2(2003/4/5〜6)

 

 お城の周りをぐるっと巡ると、綺麗に桜が咲いており、こちらは広場に比べると、人通りも少なくよりのんびりと桜を見学することができます。出来る事ならば、桜を独り占めして、桜の下でぼーっとしたいと思ったのですが、松山では桜の名所の定番とのことで、なかなかそれはかないそうにありません。

 せっかくなので、天守閣にあがることにしました。料金は500円で、資料なんかも展示されているだろうと期待を寄せての入城。地下の米倉から入り、ロッカーに靴を入れて、急な階段を上がるといった形です。靴をロッカーに入れるというのは珍しいと思ったのですが、本当に急な階段なので、危険防止の意味もあるのかもしれません。3層の城ですので、3つの階段(地下からですので3つになります)の登ると、もう天守閣といった状態。松山城下も綺麗ですが、なんといっても先程の広場を一望できるところが、「桜」を目的にしている私にとっては、いい感じです。
 資料そのものは少なく、説明書きにしてもさほど力が入っている様子が無い為、ほとんど素通りとなってしまいました。となると、この料金は高いと思わずにはいられません。江戸後期に作られた城がそのまま残っているのはわかるのですが、この展示内容であの値段ってことは、ちょっとぼったくられた・・・って思ったりします。まぁ、桜が見られたからいいんですけどね。

 なんだかんだとしていると、12時30分を過ぎようとしていました。写真もかなり撮影した様で、この時間でスマートメディアの残容量を気にする様になるとは・・・と思ってしまいました。何といっても、その大多数は桜で、桜の魔力に引き込まれたといった感じでしょう。
 何度も悩んだ末、お茶を一服させていただくことにしました。桜を眺めながら、桜羊羹と抹茶をいただきます。桜の下の野点というのは、本当に風流です。お腹も減ってきていた時でしたので、このお菓子がちょうど良かったといった感じです。まぁ、腹の足しにするには、量は少なすぎますけどね。

 13時頃に下山を初め、二の丸公園の方へ向かいました。二の丸公園でも同じようにお茶会などが開かれている告知があったのですが、翌日の方が、獅子舞があったりして華やかな様でしたので、明日訪れる事にして、道後温泉を目指す事にしました。地図は持っていたので、なんだかよく分からない方向に降りてしまって、道後温泉とは90度違う方向に向かっていて歩いてしまった様です。まぁ、松山の市内を歩き回るってのもいいだろうって思いながら、うろうろとしていると、伊予鉄道線を挟んで両側に桜が咲き乱れる場所を発見。これは絵になると思ったのですが、あいにくの曇り空のお蔭で、あんまりいい雰囲気には撮れず、ここもまた明日やってこようと思いつつ、道後温泉を目指しました。伊予鉄道の市内電車が横にあるとなると、方向がわかりやすくなり、後は迷うことなく、1時間程度で、道後温泉に到着。

 まずは、こちらも桜の名所らしい道後公園を見学させてもらおうと思ったのですが、これがかなりの人出で賑わっており、屋台も出ており、本当に「花見会場」といった感じです。結構、野外でバーベキューなんかをしている人が多いなぁなんて思っていると、売店の商売として、貸しコンロセットなんてものがありまして、ガスバーナーで炭火に火を起こして、コンロごと貸し出すといったことが行われていました。こりゃ、考えた商売だと思ったのは言うまでもありません。ちなみに、こちらの飲み物などのお値段は、市価で販売されていました。

 道後公園の横に、「正岡子規記念博物館」なるものがあり、見学させていただくことにしました。正岡子規についても、学校で習った程度しか知らず、俳句の方だなぁなんて思ったぐらいですが、時間もあるので、ちょっと見学にはいいだろうと思った次第です。入館料は300円と手頃です。

 中に入ると、博物館独特の匂いが鼻をつきます。と、なんだか懐かしい気持ちにさせてくれるのは、小学校の頃に幾度か通った、地元の川端康成記念館とバッティングするからだと思います。とすると、桜の季節の妙な不安を思い出してきました。出会いと分かれの季節といいますが、子供の頃の学級変えや次の担任が誰になるのかといったことへの不安を思い出した感じです。
 まぁ、それはともかく、正岡子規の事だけの博物館だと思ったら、まず最初に「松山市の歴史」から入っていき、続いて正岡子規の生い立ちに入ります。正岡子規の友人であった夏目漱石についても触れられているのですが、あらゆる事柄に当時の松山の様子が書かれており、周辺知識からじっくりと正岡子規のことを学べるといった感じに思えました。
 一つ一つ、丁寧に説明文を読んでいると、これまた時間を思いっきり喰ってしまいまして、次から次へと、後から入ってくる入館者に抜かれていきます。映像もところどころに置いてあり、それぞれが3〜6分程度と短いことから、小気味良く見て回る事ができます。展示方法としては最高レベルでは無いかと思ったのですが、椅子がほとんど無いということが、ちょっと辛かったです。

 生い立ちについてゆっくりと見ていると、末期になると身につまされるところがあり、特に最後の亡くなる時の文を読むと、涙がこぼれてしまいました。駄目なんですよね「人が死ぬ」ということが。特に、印象的だったのが、子規の母が亡くなった息子に対して、「のぼさん、もう一度痛いところを言うてみんかし」と語っていたという一文を読むと、最大の親不孝は親より先に死ぬことということを思い出してしまいます。こうやって、今書いているだけで、目頭が熱くなってくるぐらい、やっぱり駄目なんですよ。

 まぁ、そんなこんなで2時間弱ほど子規記念博物館で過ごし、いよいよ道後温泉に浸かろうと、思ったのですが、色々と誘惑がありまして・・・、神社を発見してしまいました。結構な階段の上にある神社で、妙に気になってしまい、参拝することにしました。階段の神社というと、松江の神社を思い出してしまいますが、綺麗な階段です(^^ゞそれほど、急ではありませんから、怖くもありません。伊坐邇和神社という神社だったのですが、立派な階段を登ると、立派な拝殿と本殿が目に入ります。その割りにはちょっと境内が小さいなぁと思ったのですが、まぁ、それはそれ。お遍路さんの四国ですから、やっぱり神社よりお寺さんなんだろうなんて思いながら、参拝を終えました。続いて、湯神社なるものを発見。こちらは先程の神社よりも小降りなんですが、短い階段の先が見えず、興味をそそられ、上がってみると、これもまた普通の神社でした。というか、作りがお寺さんの様にも見えたのですが、そのあたりは思い込みかもしれません(^^ゞ
 面白いのは、神社の横に駐車場が整備されているのですが、有料駐車場らしく、境内に「神社に参拝にこられた方は駐車料金が1時間無料になりますので、事務所にお申し出ください」とあったところでしょうか。

 駐車場から下ると、今回の旅の2つ目の目的、「道後温泉本館」です。なんだか有名なので、一度立ち寄ってみたいと思ったんですけど、それ以外に特に深い意味はありません。古めかしい建物が、魅力を放っている様にも思います。まず、入り口横で入浴券を購入するのですが、これが多種に渡っていて、一体何のことやら、さっぱりわかりません。一番安いやつにしたのですが、高いお風呂になると、お菓子とお茶がついたり、浴衣がついたりと色々とある様です。また、皇室の方専用のお風呂があるそうで、それの見学ができるコースもありました。といっても、あくまで見学のみなんですけどね。こういうお風呂があるというところも、古くから皇室の方が何度も訪れられているという証拠なのかもしれません。

 

 今まで入った温泉の中で、一番入り口が混雑していたと思えるぐらいの人出に驚いていたのですが、中に入ると十分に収容力の脱衣場に驚いてしまいました。お風呂も東西2つに分かれていて、気になったので、両方とも入ったのですが、特にこれといった違いは見つけられませんでした。唯一、東の湯の方に、源泉跡の印が付けられていたぐらいで、「坊ちゃん泳ぐべからず」の札なども同じようにかけられていました。果たし、女湯ではどうなっていたのか、気になるところですが・・・。
 あくまでお湯が勝負ということなのか、本当に洗い場と湯船のみしかありません。ただし、豊富にお湯が出てきており、掛け流しであることを強調するかの様に、湯船からお湯が流れ出ています。入浴券売場でかなりの人垣が出来ていたわけですが、お風呂もやはり大変な人でして、湯船を見ると、「どこに浸かろうか?」と疑問に思ってしまいます。洗い場も同じく、順番待ちこそありませんが、開いているところはすぐに埋まるといった状態です。
 湯船は、お尻を付けると溺れてしまう程度の深さで、湯船の橋に段があるのですが、微妙に狭いので、なかなかいい体制を作ることが出来ません。まぁ、お湯の中ですから、浮力を利用して、なんとでもなるんですけど・・・。お湯は少し熱めでしたから、あまり長湯はできません。しかし、冷えきった体は一気に温められる感じ、とても気持ちよかったです。

 階下の場合、湯上がりの休憩所はありませんから、脱衣所でちょっと休んで、廊下で人待ちといった状態です。廊下では御夫婦で来られている方が多い為か、結構な人が待っておられます。廊下には、道後温泉の紹介記事などのコピーが貼られており、それを読んでいるだけでも結構な時間が立ちそうです。
 その中で、読んだのが、「千と千尋の神隠し」についての記事。ここに出てきた油屋のモデルになったのが、道後温泉本館では無いかとのことだったんですが、特定のモデルが無い事から諸説紛々といった状態だそうです。日本各地のいろんな温泉の集合体といった状態だそうですが、映画の中に、「導後」といった文字が出てきたとかいうこと、多層式の建物ということで、十分に参考にされていると記事にされています。といっても、モデルが沢山あるので、ココ!とは言えない様で、ひっそりと紹介しているそうです。もののけ姫の「たたら場」と同じ様な感じですね。

 

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