7号車の1Aの座席が取れたんですが、何を思ったか乗車した車両は、1号車。なんで、喫煙者なの?と特急券を見ても禁煙車と書いてあるし・・・うーんと悩みながら、ドアから入った時に、ようやく気づきました。1号車から7号車への移動・・・以外に大変なんですよね。カメラバッグが大きい分、邪魔なんです(^^ゞ
自由席車両の状況はわかりませんが、指定席車両は6割程度の乗車率で、なかなか定着しているなぁと思います。10両編成だったか11両編成だったかでかなり長い列車なんですが、この状態ですから、高速化事業は成功したと見ていい様に思います。新千歳空港と釧路空港を結ぶHACの翼はあるものの、市街地から新千歳空港まで40分、釧路空港まで50分、それぞれに出発の30分程度前までにチェックインすることを加味していくと、結局、乗り換えだらけで1時間程度しか早くならない飛行機よりも、列車を選ぶ方が多くなっているのかもしれません。これが、高速化事業前だったら、5時間半ほどかかっていたわけですから、飛行機が本気になれば、負けていた可能性もあります。
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車内で腰を落ち着けると、お腹が減ってくる物で、ワゴンサービスで豚丼のお弁当を購入しました。帯広に立ち寄りながらも、いまだかつて豚丼を食べたことがなかったので、これが残っていると聞いて、迷わず購入しました。本当は、帯広駅で購入するつもりだったんですが、時間がなかったので、あきらめていたんです。
焼豚のタレで御飯を食べるといったもので、味覚的には、大変好みです。やはり今回は、当たりが多いと思いながら、しっかりといただきました。お値段は750円と他のお弁当に比べて、安めなのもポイントが高いです。
デザートに、車内販売が回ってきたので、アイスクリームを購入しました。よつ葉と雪印のどちらがよろしいですか?と聞かれたので、今回は雪印と答えました。例の事件以来、なかなか信用回復が大変な雪印さんをわざわざ選んだわけですが、購入したアイスクリームのパッケージを見ると、雪印のマークはなく、雪印のマークを連想させる様な簡易な雪の結晶のマークで、あれれ?と思いました。製造者を見ると、「雪印乳業」の名前は無く、「ロッテスノー札幌工場」とあります。どうやら、アイスクリーム関係についても、新会社を設立した様で、ロッテが資本参加した会社なんでしょうね。「スノー」と名前を付けていますが、あれだけ失墜したブランドイメージをそのまま冠するのは、かなり難しいのかもしれません。でも、結局販売するお姉さんが、「よつ葉か雪印のどちらにします?」と聞いていたら一緒なんですけどねぇ。
お値段は270円だけあって、やはりおいしいです。こんなに高いアイスクリームは、電車に乗った時ぐらいしか食べないので、じっくりと味わいます。いや違うや、こんなに高いアイスクリームは、「旅行に行った時ぐらい」しか食べないの間違いですね。
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地図を追いながら、車窓を眺めていると、これまた違う楽しみが出来るわけなんですが、ちょっと疲れたのか、眠気が襲ってきました。トマムを出発すると記憶が無く、追分を通過している時に目が覚めたといった状態です。南千歳にほどなく到着すると、乗り換えということで、10分の乗り継ぎで快速エアポートを待ちます。
南千歳駅の構内配線がどうなっているのか不思議なんですが、1番線と3番線が札幌方面行きで、2番線と4番線が新千歳空港、苫小牧、帯広方面行きになっているので、札幌へ向かうお客さんは、あちこち右往左往しなければいけない様です。ここでも、「メグミノ駅に行きたいんだけど」と私に声をかけてきたおばさんがいたのですが、ちょっとよく分からないけれど、札幌方面だったら、快速が向かい側にくるので、あっちじゃないかなぁと教えてしまいました。
で、しばらくすると、そのおばさんは戻って来られたので、あれれ?と思っていたら、こちらのホームから普通の手稲行きが出発する様で、どうやら各駅停車のみの停車駅だった様で、駅員さんに聞かないと、全くわからない発車番線になっていました。これでホームに駅員さんがいるならともかく、そうではありませんから、もう少し分かりやすくすればいいのに・・・と思います。
ただ、もしかすると、新千歳空港からのお客さんに便利な様にしているのかもしれません。確かに、空港からは札幌方面への快速がばかりなので、南千歳で乗り換えるとするならば、帯広・釧路・函館方面になります。同一ホームでの乗り換えができる様に、南千歳の空港線のホームを上下で入れ換えたのかもしれません。でも、それゆえに、地元のお客さんには、分かりにくくなったのかもしゃません。
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新千歳空港では、約1時間半の待ち合わせとなりました。これだったら、一本前の飛行機ででも帰れたのですが、ジャンボジェット機の2階席に乗ってみたいという理由で予約便に搭乗する事にしました。
ところで、いつもの癖でJASのカウンターに行ってしまったのですが、幹線かJALに移った今となっては、かなり寂しい雰囲気になっています。17時以後出発するJASグルーブ便は、福岡便と青森便の2便のみ。そこにきて、東京便があったころのJASのカウンターがまるまる使われているわけですから、こうなるのは当たり前だと思います。さらに、手荷物検査場もJAL側が並んでいるのですが、JAS側は誰もいない状態。JAL/JASの合併により、これで効率が良くなったのか?と不思議に思ってしまいます。
来年の4月に本格的に合併が行われるかと思いますが、それまでにも、お客さんがうまく分散できる様にしておかないと、JAL側のみ混雑している状況になりそうです。大阪、名古屋便はJAS側で受け付けるとか、もしくは手荷物検査についても、JAL/JASともに共同で受け付けられる様にするなどの工夫が無い事には、空港の端にあたるD検査場は常にガラガラで、効率も悪い様に思います。
とまぁ、そんな感想を持ちながら、待合室に入りました。何度も通っている手荷物検査場ですが、いくら飛行機に慣れても、この時だけは少し焦ってしまいます。何事も無く中に入り、待合室で40分ほど時間をつぶす事にします。
搭乗まで30分程度の時間がありそうですので、ゆっくりと旅行記でも書こうと思い、パソコンを開き初めて10分で、搭乗の案内がありました。10分後より搭乗を開始しますとのことで、出発の20分前ということで、普段の飛行機に比べて随分早いなぁという感想を持ちました。一体、何故・・・?と思ったわけですが、B747−400ですから、搭乗客数も随分と違うからなんでしょう。
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あまりゆっくりともしていられなくて、早々に切り上げて、搭乗したわけですが、今回は2階席を指定していたので、上の階にあがります。滅多に乗れないB747で、かつ2階席という初体験なわけでして、どんな感じかなぁと思いながらあがったところ、思ったよりも天井が低く、後方は荷物棚が無い状態でした。思わず、え?カメラバッグをどうしよう?って思って困っていたところ、客室乗務員の方が、「座席をご案内しましょうか?」と声をかけてくださいました。
こういう時には、とっさに声がでないもので、「え、あ、いや、その・・・」とまぁ、頭の中でなかなか文章が組み立てられません。荷物をどうしたら良いかということをなかなか言えずに困っていたのですが、なんとかその意図を酌んでくださいました。
初めてというのは、何かと判らないものなんですが、2階席は楕円がきつくなっているので、窓側ぎりぎりまで、座席を寄せる事が出来ないため、窓と座席の空間を荷物入れにしている様です。お蔭で、窓は遠くなったのですが、物置の台が出来た感じで大変便利に使えます。
しかし、残念なことに、この荷物棚は奥行きはあるのですが、幅が狭くカメラバッグが入りませんでした。そんなわけで、前の座席の下に入れたわけですが、B747の場合、座席間の空間が大きい為か、思ったほど窮屈に感じませんでした。
飛行機は随分と空席を残した状態で出発。全国的に雨模様だった様で、航路途中に揺れることがあったのですが、それほど大きな揺れは感じず、大きい機体故の安心感を体感しました。しかしまぁ、バーゲンフェアの期間で、たったこれだけの搭乗率ってのは、どうかと思うんですよね。どちらかというと、バーゲンフェア期間中は、他社便を使用するお客さんも、こちらに流れてくる可能性が高いわけですから、その時にこの搭乗率というのは、設定数が少ないとしか考えられない様に思います。
というのも、私も苦労して取得した一人なので、それなのに、これ?って思ったりします。まだ、設定数を増やすべきだろうし、突然割引の様なことを効果的に実施して、少しでもお客さんの獲得に乗り出さないと、駄目な様に思います。まぁ、SARSやイラク戦争の影響でキャンセルが多くでたのかもしれませんので、これもある一方からしか見ていないってこともあるのかもしれませんけど・・・。
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大阪国際空港に到着し、ボーディングブリッジに足を踏み出すと、ドンムァン空港で受けたいや〜な湿気感が体にまとわりつきます。いったいなんだ?この湿気は・・・!?と思わずにいられません。すぐさま、汗が吹き出す感じで、大阪の暑さを実感した次第です。昨日は、2度。こちらは、いったい・・・?体、壊すよなぁ、こりゃ・・・といった感じです。手には、上着を持っており、ほとんど夏場と変わらない格好をしているのですが、それでも、暑い状態です。ビル内でこれですから、外に出ると思いやられるわげですが、そんな中、フリースを着ている人がいましたが・・・。
あの人、このまま自宅まで帰るのかって考えると、私には到底我慢できないななぁと思うのが、関の山。そうこうしいるうちに汗が滲み出てきます。
ということで、大阪はやっぱり暑かったと思ったんですが、翌日は急激に冷え込みまして、最高気温も15度前後。晩は、10度を切っていたと思います。翌日、これが昨日だったら・・・と思ったのは言うまでもありません。あの日だけが、どういうわけか目茶苦茶暑かったんですね。
さて、この後、2週間後に北海道横断、さらに2週間後に道東縦断の予定です。さてさて、この予定で本当になんとかなるものなのか・・・、まずは初春というか、晩冬の北海道でした。 |