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雨の奥出雲 その3(2003年2月22日〜23日)

 

 翌朝は、午前5時半頃に目覚めたのですが、お風呂は7時からということで、ゴロゴロと布団の中でまどろんでおりました。やっぱり良く冷えるなぁなんて思いつつ布団の中のぬくもりを楽しみます。
 うたた寝も混ざって、午前7時に朝風呂。これが、お客さんが全然少なく、これまた、お風呂を独り占めといった感じです。ちなみに、お風呂は男女入れ換えになっておりました。ところで、男女入れ換えになっていたにも関わらず、あまり綺麗に清掃された様子が無かったのが(洗面台に髪の毛が結構落ちていたところなどですね)気になったんですが、それを引いてもこの心地よさには変えられません。対岸の山並みを見ながら、しばしの悦楽。こりゃ、たまりません。って、何だかじいちゃんみたいだなぁ(^^ゞ

 ま、それはともかく、午前8時に朝食ということで、レストランへ向かいました。外の駐車場はあれだけ満杯だったのが、まばらになっていましたので、結構な数の日帰り入浴客だったことが伺えます。これ、客室も満室でなかったので、こんな状態なんですけど、満室だった場合は、どうなるのかちょっと気になるところです。
 朝食内容はいたって普通で、「鮭のみそ漬け(だと思う)」「温泉玉子」「しじみのあえ物」で、後はセルフサービスでしじみの味噌汁、ごはん、香の物といった感じです。食後のコーヒーもセルフサービスで用意されていたのは、評価できます。
 結局のところ、公共の宿ってセルフサービスの部分が多いか少ないかの差なんですよね。それ相応にお金がかかるってわけで、時と場合に寄って使いわければ良い訳なんてすよね。

 部屋で少し休憩して、午前9時過ぎに宿を出ることにしました。この時間を選んだのは、対岸にある、公衆浴場の出雲湯村温泉に入ろうという魂胆です。温泉で一緒になったおじさんに聞いたところ、向かい側の公衆浴場が昔ながらの温泉だそうで、こちらは新しいとのこと。ただ、駐車場が狭い為にこちらの方が人気が出てきたそうだと教えていただきました。
 で、車で対岸へ向かったのですが、まず、道が狭いんですよね。車のすれ違いはなんとか出来るといった感じの道幅です。駐車場も専用駐車場があるのか無いのかよく分かりません。とはいっても、駐車場は水力発電の協力施設やら公衆浴場を管理している湯之上館の駐車場があるので、数十代は止めることができそうです。また、徒歩5分くらいの位置に、湯之上館専用駐車場と書かれた荒れ地もありました・・・(^^ゞ

 駐車して、公衆浴場に向かうと、どうやらまだ営業されていない様で、「午前10時〜午後9時30分まで(受付は9時まで)」と書かれた紙が目に着きました。時計を見ると9時20分。ちょっと早くきすぎたので、斐伊川などを撮影しながら、時間潰しをすることにしました。天気はあいにくの曇りなんですが、雨が降っていないだけいいもんで、雨上がりの風景の撮影がうまく出来るか、何枚も撮影していると、簡単に時間が過ぎていきます。

 で、待望の公衆浴場なんですが、露天風呂はどちらかというと今一つです。ただ、温度は清嵐荘と同じく低めに設定されている為、長湯は可能です。その変わり、内風呂は木がふんだんに使われており、気に入りました。
 洗面台などは無いのですが、大きな木桶に温泉が常に流れでており、体を洗う時は、そこから手桶で湯をすくうという形になっています。新鮮なお湯を証明する様に、コップが置いてあり、こちらのお湯もまた飲用可能な様です。
 この木桶も3カ所程度置いてあり、そのうち湯船に近い2カ所は、溢れるお湯を湯船の方へ流れる様に工夫されていました。鏡はありませんが、ボディシャンプーと固形石鹸は用意されていました。これで、はっきりと思ったのは、出雲湯村温泉は清嵐荘、公衆浴場ともにお勧めということなんですよね。お湯を楽しむなら公衆浴場なんでしょうか?個人的には、内風呂楽しむならば公衆浴場、露天風呂を楽しむならば清嵐荘といった感じで、両方利用しても600円ですから、それもまた一興でしょうか?

 本当に気持ちよかったなぁと思いながら、車をいよいよ吉田村へ。今回の旅行目的はこの吉田村といっても過言ではありませんでしたので、かなり期待しつつ車を走らせます。山を登り始めると、ところどころに雪が見え始め、トンネルを超えると一面の真っ白な世界が広がりました。昨日の雨でも雪が残ったんだと思っていると、オープンエアミュージアムに到着。この施設の中に、「鉄の未来館」があります。
 駐車場に車を止めようとしたんですけど、車がほとんど駐車していません。本当に営業しているのか少し心配になっており、ごそごそとしていると、車が2台到着。中から10名ぐらいの家族連れが、同じように鉄の未来館へ向かいました。同時に入ると、ゆっくり見られないかなぁと思って、少しばかり時間をおいてから入館することにしました。

 5分ほど写真を撮ったりして時間を潰し、鉄の未来館へ向かおうとすると、先の団体がもう出てくるではありませんか。あれ?休みなの?と疑問に思いつつ玄関を見ると、「開館中」と書かれてあります。あれれ?先の団体はなんで?って思ったんですが、その原因は受付で解明されました。
 入館料を払おうと500円を差し出したところ、3館共通券というものがあり、これだったら1300円のところ、1000円となるとのこと、時間などの関係で3館訪れることが出来ない場合は、別々に支払った方が良いということになるのですが、その場合は、「この施設では無く、菅谷たたらの方をお勧めします」とのこと。
 つまり、こちらの施設は3館共通券でご覧いただくのが主体の施設であるということで、吉田村に来られたならば、たたらの方を先に見るべきとのことでした。
 ちょっと悩んだのですが、時間は5時間ばかりありますので、3館見ようと思えば見ることができるだろうということで、3館共通券を購入し、見学させていただきました。

 受付でこの様な話しをされるものだから、中に入るとガラガラ・・・というか、私だけしかいないという状態で、まずはスクリーンで映像を見てもらうと言われ、受付の学芸員の方が誘導してくれました。中央の大きな空間に、50人ばかりは座れるであろう椅子とスクリーンがあり、まずはその上映。学芸員の方が、寒いですからといって、石油ストーブを持ってきてくださいました。確かに底冷えする寒さですから、この石油ストーブは助かりました。
 映像は、吉田村と鉄の関わり、鉄に関わる世界の都市といった趣旨で、鉄は現代には無くてはならないものといった内容でとりまとめられていました。イギリスの世界最初の鉄橋、アイアンブリッジの映像があったのですが、これはさすがに驚きでした。産業革命の記念碑たるものだろうと思いました。

 15分程度の映像が終わると、たたらの釜の原寸大模型を見ながら、学芸員の方が、説明してくださいました。なんともすごいサービスだと驚いていたのですが、たたらの釜の説明に関しては、横田町の「たたらと刀剣ミュージアム」の方が詳しかった様に思いました。
 その後、順路の説明を受けて、ゆっくりと見学させていただきました。こちらの施設はたたらでは無く、西洋製鉄に関しての内容が主で、故に吉田村に来られたならば、この施設では無く、他の施設を先にご覧くださいと案内されていた様です。資料内容は、近代製鉄以前のものから始まり、初期の西洋製鉄の釜の原寸大模型、日本初の西洋製鉄の原寸大模型、そして最新の製鉄法、未来の製鉄法について説明されていました。
 興味深かったのは、それぞれの釜の模型で、原材料を入れる箇所に西洋と日本の大きな差があるなぁなんて思いました。西洋方の場合、効率良く原材料を投入できる様になっている様ですが、足を滑らして、人間も釜に落ちる可能性がある様に思え、日本のものは、入り口が狭く効率が悪い様ですが、滑って落ちる様な雰囲気はありませんでした。この当たりは、産業革命あたりの考え方の違いなのかなぁなんて思ってみておりました。写真は、その釜の投入風景の写真です。

 見学ルートの後半に、たたら製鉄法による刀剣製作に関するビデオがありました。このビデオは、鹿島市がワールドカップの記念事業として、2002年に作成した大刀剣の製作過程を納めたもので、市民が砂鉄を集め(1100Kgだそうです)、住友金属がたたら製鉄の協力をし、最終的に大刀剣にして、公開するまでを20分程度にまとめて説明されています。
 一種のメモリアルビデオ的な感じなのですが、見ていると、どんどんと引き込まれていき、最後まで見てしまいました。

 

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