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ぶらっと松江旅行 その2(2003年2月2日)

 

 こちらでは、結局20分程度つぶすのが精一杯といった感じでして、ちょっとばかり不満に思いつつ、2件隣の武家屋敷へ。入館料は300円で、大きさは建坪で70坪程度ということですから、結構大きめのお屋敷だと思います。
 中に入ると内玄関のところで、案内放送が流れます。なるほど、この案内を聞いていると、なかなかよく分かると思いながら、内玄関でしばらく聞いています。と、そのまま次の式台玄関や、客間などの説明が流れ始め、あれれれ・・・とあわてて、隣の部屋に写るという始末。どうも、館内は全て同じテープが流れている様で、各々の場所に応じた説明をしている様ではありませんでした。それと、こちらのお屋敷、中に入ることはできず、「庭」から中を眺めるといった感じになっています。それもこれも、お屋敷のほとんどが採光の為か、庭に面しているからできることなんですが、武家屋敷というと、結構中に入らせていただけることが多かったので、なんだか、今一つだなぁなんて思いました。ただ、説明にあることは、ほとんど見ることができましたので、個人的にはなかなか面白い施設だったんですが、唯一気になったのは、この武家屋敷は事が起きた時に、すぐに行動が起こせる様に工夫が凝らされているそうです。その中の一例が、厠だったんですが、すぐに掛け出せる様に用便をする方向が扉の方に向けられていたそうですが、これだけは見られるところになかった様です。見つけることが出来なかっただけかもしれないんですが・・・。
 また、生活用品を300点ほど展示しているということだったんですが、家屋内に展示しているので、遠い上に、説明書きなどがほとんど無い為、このあたりも改善の余地ありといったところでしょうか。別棟には、灯具の移り変わりということで、行灯〜ランプに至るまで、この武家屋敷に残っているものを展示しているのですが、これもまた説明が無く、どの様に分けられて置かれているのか分からないので、どうも今一つよく分からないといった感じです。

 鼕(どう)展示場という看板が目に入り、その先には祭は11月3日に開催と書かれています。あやしい小道を登っていく先に、倉の様な倉庫があり、そこに鼕という大きな太鼓が3つ付いた櫓というか山車がガラス張りの向こうに展示されていました。説明板によると、大太鼓は大体1.5〜2mにも及ぶそうで、この太鼓を鼕台に2つ、3つ乗せて、市内を練り歩くそうです。ここには、威勢のいい若者が勇壮な撥裁きを見せるということだったのですが、映像を見ると、随分と年のいった若者(?)が大勢叩いていた様なのですが・・・。
 外国人の方も叩いている様子があったので、そのあたりは結構広くやっているのかなぁなんて思っておりました。

 鼕展示場を降りると、雪が舞い始め、なかなか見事な景観。写真に撮ると・・・雪は白いゴミの様に・・・って感じになってしまいました。まぁ、それはいいとして、晴れているけれども雪が舞うという景観はなかなか見事なものです。(その写真はこのページの上の武家屋敷の写真です。拡大すると、なんとなく白いのが写ってるでしょ?)
 堀川巡りの船を見ながら、少しばかり塩見小路を歩きます。雪が降っているので、少し寒そうなんですが、やはり風情がある様に見えます。ちょっと乗ってみようかなぁと思ったのですが、昨年に乗船したことがあるので、訪れたことの無い、「月照寺」に向かうことにしました。

 「月照寺」は、松江城城主の菩提寺だそうで、初代〜九代目までの墓陵があるお寺です。初代松江城主の母を弔う為に、再建させた(というのかどうかは分からないのてすが)お寺だそうで、もともとは禅宗の寺として創建され、再建時に、浄土宗に宗派替えをしたそうです。
 観光スポットの一つとして数えられている様で、大きな駐車場が備えられており、団体客の方が見学を終えて出てこられた時に出くわしました。入り口で、400円の拝観料を支払い、パンフレットをもらって中に入ります。
 お寺にしては少し殺風景な雰囲気が漂うのですが、拝観者がほとんどいない(というか、この時、敷地内の見学者は私だけだった様ですが・・・)状態ですので、本当にゆっくりと、歩いていくことができます。私が神社が好きな理由はどちらかというと、こういうのんびりとした雰囲気なんですが、それがこのお寺にはあるなぁと実感しました。
 それぞれの墓陵には門が付いており、お寺の様な名前が掲げられています。中に入ると、十数メートルの参道があり、鳥居があって階段をあがると、墓標があるといった感じです。神仏習合の一つだなぁなんて思いました。この墓標は、それぞれの城主ごとに形がちがい、墓標の周りの石畳も、普通に敷きつめられたものと斜めに敷きつめられたものがあります。
 この石畳、初代城主のものは、随分と荒れているというか、それぞれの石の橋が削られており、歩きにくく感じました。もしかすると、長い年月の風雨にさらされ、削られてきた様でした。というのても、九代目城主の石畳は、やはり歩きやすかったのです。
 初代から順番に見学と思ったのですが、結構、無作為に立てられていた様で、順番に見ると、寺内を右往左往する必要がありそうでしたので、順路通りに見学していくことにしました。
 初代城主の次は、七代目城主松平不眛公で、お寺の中でも一等地、松江城が眺められる位置にあり、門からも直線でお参りすることができる位置にあります。有名な城主なだけあるといった感じです。

 そこから、奥に入るのですが、お寺の中というよりも、山寺を望む場所といった感じがします。人気がほとんど無いので、すごく神聖な気がします。三代目城主の敷地は、日当たりかあまり良く無いのか、鬱蒼とした雰囲気があるのですが、石畳に生えている苔が見事で、これもまたいい雰囲気だなぁと感じつつ、次々に参拝していきました。しかし、九つのお墓を回るというのは、なかなか大変で、なんとなく、門から入って門から出たい気分になるので、意外に遠回りしながらの見学となりました。
 そうそう、六代目将軍の墓陵の横に、大きな亀の石碑があるのですが、これは小泉八雲の小説にも出てきた有名な亀だそうです。夜中にこの大亀が松江の城下を歩き回ったという話があったそうです。首に亀裂があるのは、地震か何かだそうですが、その様な説明はありませんでした。

 このお寺の中心は大きな空き地になっており、旧本殿跡となっています。神社でも無いのに、遷宮でもしたのかいな?と思ったのですが、パンフレットを読むと、廃仏毀釈の際に取り壊されたとのことで、現在は、その周りに作られており、この地は立ち入り禁止になっている様です。しかし、廃仏毀釈の活動ってそれほどすごかったのかと驚いてしまいます。

 お抹茶のいただける、書院は最近建てられたのか、とても綺麗でしたが、お抹茶はパスし、宝物殿に入りました。松平不眛公の像があるとのことだったのですが、それを見て、驚きました。いや、驚いたのは、私だけなんでしょうけど、想像では若々しい恰幅のいいお殿さんをイメージしていたのですが、像のモデルは、おじいさんでした。いや、そりゃそうなんですけど、想像って恐ろしい物です。このお殿様の若かりし頃はいったいどうだったのだろうか・・・とあくまで私のイメージを追求しようなんて思ったのですが、基本的に晩年(?)の絵が中心で、それはかないませんでした(^^ゞ

 

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