勾玉とあご その4 |
翌朝は6時半起床で、お風呂にいくことにして、就寝。食事が、8時から朝食会場とのことでした。午前6時半に起床の為、Y氏の携帯電話、M女史の携帯電話の目覚まし音が流れます。いったん目が覚めたのですが、後5分、後10分と思っているうちに、みんな寝てしまい、次に時計を見た時は、7時20分。うわっっ!てな具合で、みんな飛び起きて、バタバタと朝風呂へ。
今度は、女神の湯が男性用で、神宝の湯が女性用になっており、昨日と逆。どんなのかなぁと思いながら、入ってみると昨日あれだけ人が少なかったのに、それが今朝はすごい人の数。といっても、ぎゅうぎゅうとか、脱衣場のカゴが無いとかいうのでは無く、あくまで昨日と比べてという感じです。内風呂にしても、露天にしても大きい湯船があるのが神宝の湯の方でして、こちらは少し小さめのお風呂がいくつかあるといった感じです。ご自慢の「めのう風呂」があるのですが、こちらは、節操が無いというかなんというか・・・。神宝の湯の方のめのうは、湯船の底に埋め込まれていたのですが、女神の湯の方のめのうは、湯船の底に加えて壁面(天井近くまで)に埋め込まれており、こちらはちょっとうわっっっ!という感じです。
露天風呂は、岩風呂ですが、こちらはごく一般的に思える岩風呂です。
ちょっとあわて気味に脱衣場で着替えていると、どこかで見たことのあるおじさんが、話をしているのを見かけました。どこで見かけた人なのかなぁと思いながら、脱衣場から出て、いったん部屋へ。A女史ならびにM女史がそんなにはやく帰ってきているわけはなく、しばらく部屋で待っておりました。午前8時に朝食会場という話でしたので、8時5分過ぎにいったんロビーで待つことにしました。布団あげにやってこられるはずですので、布団あげている間にず〜っと部屋にいるのもなぁと思ったからです。と、エレベーターホールでエレベーターを待っていると、やってきたエレベーターからA女史とM女史が登場。鍵を渡して、先に朝食会場へ向かっているということを告げて、降りました。
バイキング形式では無いので、食べる量が一定でいい感じです。こういう朝食ってやはり好きなんですよね。いつもあまり朝食を食べない(朝食を食べないのでは無くて、いつもお茶漬けぐらいはしてます)私ですが、こういう時は、やはりかなり食べます。
ふと、朝食を食べている時に、先程のどこかで見かけたことのあるおじさんがわかりました。そう島田伸介さんの番組に良く出ている「土建屋さん」だったんです。まさか、土建屋よしゆきさんがやってきているわけはないだろうってことで、A女史に「お風呂で、土建屋さんに良く似ている人がいた」という棟を伝えると、逆に「あ、昨日ロビーで、人間まんだらにでている『なよ』っとした人見たよ」って言われて、あ、そういえば昨晩、写真を撮っていたのはこういうことかとつながったわけです。
そう、若い女の人と写真を撮っていた若い男の人とは、「七井君」だったわけです。そういや、昨晩ロビーで世間の常識をちょっとはずれた内容のことを話をしてたなぁと思ったわけです(マングースの檻の中にいれられたとかいうこと。さらにそれによって怪我をしても保険がおりるとかおりないとかいう話題もありました)。どうやら、テレビの慰労会かもしくは収録だったのかも知れません。
また、今回の旅行を担当してくれた日本旅行茨木支店の店長さんって以前、とある番組で島田伸介さん一行の旅行コーディネーターという形でテレビに出てたことを考えても、点が線となってつながっていきます。
といっても、話をしたとかサインをもらったとかいうわけでは無く、ただ出会ったというだけなんですけどね。それに、言われるまで気づかなかったし・・・(^_^; ちなみに、島田伸介さんは見かけませんでした。
チェックアウト時間10時前に長生閣を後にしました。満足気にお宿を後にしたのですが、こちらも良かったので、そうやって考えると、他の玉造温泉のお宿は?となってきます。次回は、どこにしようかと思うわけですが、財布の都合があるので、なんとも限定されてしまいますが・・・(^_^;
この日は午後1時から来待ストーンミュージアムで、石彫り体験の予約をしていますが、午前中は完全なフリー。とりあえずは、裏手にある出雲玉造史跡公園にある玉造資料館へ向かうことにしました。当初は来待ストーンの奥にあるいろり茶屋なるところで、そばうちの体験が出来ると聞いていたのですが、事前に電話で確認したところ、土曜・日曜の午前中のみとの話。祝日はやっていないそうです。で、宿の周辺案内に、『勾玉作り体験』と書いてあったことから、こちらへ向かうことにしたわけです。
場所は玉造温泉街の東側の山の上にあたり、かなり近い位置です。車で5分ぐらいですが、ぐるっと温泉外を迂回して向かうので、直線距離としては、1km無い様に思います。ただし、小高い丘の上ですので、歩いていくには、相応に体力が必要でしょうが・・・。
資料館の下に駐車場があり、百メートルほどの坂道を上がっていくことになるのですが、人気が無いことや冬の為に木々が寂しげな為に、どことなくうらぶれた雰囲気が漂っています。資料館の前に勾玉作り体験の旨の表示はありません。やっぱりただの資料館なのかなぁと思って、中に入ると受け付けの横で、『勾玉作り体験セット』なるものを打っていました。柔らかい石(蝋石かな?)とサンドペーパーがセットになっており、中に勾玉の作り方が書いてあります。最後はマジックで色を塗れば出来上がりだそうです。ただし、これはあくまで持ち帰り用だそうで、ここでは体験できない様です。お値段は300円だったかそのあたりです。とりあえず、それを購入することにしました。
せっかく来たのだからということで、資料館も見学させていただくことにしたのですが、これが、興味が無かったのか、記憶に全く残っていないんです。いったいどんな見学内容だったのでしょう。大変、失礼かと思うのですが・・・本当にわからないんです。確か2階建てで、2階に名物『ぼてぼて茶』の説明があったと思うのですが、ぼてぼて茶自信どんな内容だったのか忘れてしまいました。ただし、説明を読む限り、かなり怪しげな飲み物だったと記憶しています(説明は忘れてしまったんです)。ちなみに、入館料は100円だったか200円だったか、さして高いものでは無かったと思います。
それでも、あきらめきれずにいろり茶屋へ向かってみることにしました。
国道9号に出ると、飲み物を購入するという名目で、道の駅に。ここからの眺望がかなりよく宍道湖が一望できます。ただし、晴れてればの話です。この日は曇りだった故に、なんだか真っ白でした(^_^; 国道沿いにこんな芝生の山が・・・と今思えば、かなり大きい道の駅だったと思います。
ここを出ると、右手に勾玉を意識したガスの貯蔵庫(あれって何て言うんでしたっけ?)。ただし、勾玉を意識したものの、ガスを貯蔵しているところが、球形ですから、勾玉というよりも『人魂』といった方がただしいかもしれません。そういや、もう少し先には、派手な配色のそば屋さん。出雲大社を意識しているのでしょうが・・・朱塗りの神殿って出雲大社でありましたっけ?平安神宮とかじゃなかったかなぁ。
来待ストーンの前を過ぎて、いろり茶屋へ向かいます。いろり茶屋は来待温泉に併設されているとのことだったので、来待温泉を目指します。来待ストーンをすぎると急に道幅が狭くなり、川が迫ってきました。すると、来待温泉と書いた看板が目に入ったのですが、橋をわたった対岸の様です。対岸に目を向けると、どうみても旅館があります?あれ?と思いながら、旅館の方へ入っていったのですが、そば屋さんがある雰囲気ではありません。もしかすると、裏側かもと思って、また橋を渡って、一つ手前の橋を渡って、逆側に回ってみましたが、こちらはただの裏口でそば屋さんなぞ見つかりません。あれれ?と思ってぐるぐると回ったのですが、もしかしたら、違うのかもしれないと思い、再度先へ進むことにしました。
1Kmほど先にそれらしい建物と、車の出入りが激しい駐車場がありました。やはり間違っていた様で、ここが目的のいろり茶屋だった様です。温泉については、先程の来待温泉がどうも本当の様で、こちらの町営の温泉施設は後から作ったものの様です(偽物じゃないよ〜^^;)
駐車場はかなり満杯ですが、結構ひっきりなしに入れ換えがありますので、タイミング良くすぐに駐車することができました。時間は11時30分頃だったのですが、祝日ということもありいろり茶屋の方もかなりの人込みで、店員もバタバタしている様子。そばうち体験に関しては、一切何も触れられていませんでしたので、この日は駄目だったのでしょう。しばらく玄関で、お土産を見ていたのですが、あまりの忙しさか、待ち客にかまっていられない様子で、いったいどれくらい待てば席につけるのかもわからないので、そのままいろり茶屋を後にしました。
そばうち体験が出来ないのはともかく、なんだかかまってられない様子はなんとかしないと、かなり印象悪い様に思うのですが・・・。たまたまこの日が並大抵の忙しさじゃ無かったのだろうと思うことにしました。
ここからどこにいこうかと思いながら、昨日購入した煮干しを車内でボリボリ。アジと違ってかなり食べやすい感じです。とりあえず、国道9号まで戻り、宍道の方へ向かうことにしました。地図を見ていると、ふと目ぼしい施設を発見。風土記の丘公園と書いてあったと思います。時間を潰しには公園にいくのが一番いいので(撮影対象が多いんですよね)、みんなに了解をとってそちらへ向かうことにしました。
分かりやすそうで、わかりにくい地図でして、なかなかうまいことたどり着けません。快調に車を走らせていると、宍道町から逸れてしまい、加茂町に入ってしまい、Uターンすることもありました。
風土記の丘公園という名前では無い用で、宍道総合公園の一部がそれらしいのですが、たどり着いたのは、スポーツ公園の方。テニスコートや野球場などがありました。野球場という広々とした直線のとれる所でこの4人というわけで、今日もセルフタイマーダッシュに挑戦することにしました。最初は、A女史が目標となり、M女史、Y氏と私が走ったのですが、見事に失敗。目標のA女史だけが移っており、残り3名は、フレーム外にいた次第。
続いて、M女史が目標になり、残り3名が走ってみると・・・初めての成功では無いかという出来。ただし、A女史がおいしいところとってしまった感じで、私は完全にA女史の影になってしまいました。う〜む、おしい。でも、4人がフレームインしたことは、かなり画期的な出来事でした。
そんなわけで、15分ほどスポーツ公園で汗を流し(^^;)、車で古墳公園の方へ移動してみました。古墳公園の方は、その名の通り、古墳だらけの公園でして、前方後円墳だとか、色々な形の古墳が作ってあるとでもぽったらいいのでしょうか?なんとも、不思議な公園です。こちらは、撮影物が多い為、それぞれが思い思いに古墳を撮影していたり、枯れ木を撮影していたりしました。人気はかなり少なく、整備もそれほど行き届いているとは言い難く、土に埋もれたアスレチック器具がなんとも寂しげでした。しかし、なぜこうなったのかは、謎なんですが・・・。器具そのものはそんなに古くは無いので、ここ1〜2年の間に埋もれた様なんですが・・・何があったのでしょう?
作りは色々と凝っていて、高床式倉庫を模したコテージらしきものが古墳公園の奥に数棟ありました。夏期のみの営業なのか、人っ子一人いない状態なので、石のモニュメントの様な時計台や野外公会堂の様な建物、弥生時代の建物を意識したと思われるトイレなどが、なんとも寂しげに見えてきます。
そうこうしているうちに、13時前となりましたので、ストーンミュージアムに足を向けます。来た道を戻るとどうも面倒そうなので、通ったことは無いのですが、公園の前の道を東へすすむことにしました。一応、「玉造温泉」という看板に向かっているので、間違い無く来待ストーンに近づいていると思うわけです。
結果的にこの道は正解でして、来待温泉から南へ向かう道と合流。その道を北上すると、いろり茶屋の前を通り、ほどなく来待ストーンに到着。駐車場に車を止めて、とりあえず博物館の方へ向かうことにしました。ちなみに、A女史の左腕にはしっかりと、『いりこ』が抱かれてありました(^_^;
前回来た時と比べて、人出が多い様で、来待ストーンへ向かうトンネルまでに結構な人とすれ違いました。ご多分に漏れず、みなさんA女史のいりこに目がいく様です・・・(^_^; ま、確かに客観的に見ると、いりこをポリポリ食べながら歩く『一応』若い連中も『少ない』でしょうからねぇ。
とりあえず、博物館の受け付けで、予約している旨を伝えると、工房の方に行ってくれとのこと。今回は、博物館の見学は遠慮したわけですが、時間を持て余しているのだったら、ここの博物館を見学して、前回なし得なかったレストランでの食事でも良かったんですよねぇ。今、これ書くまで気がつきませんでした・・・。A女史、M女史、Y氏のみなさん、失礼いたしましたm(__)m
とりあえず、トンネルの前で、いりこさんと写真を撮って、いざ工房での彫刻体験。というよりも、石彫り体験だな。こりゃ。今回は、みらくるお姉さんではなく、館長さんなのか中年のおじさん指導のもと、石堀開始。昨年の彫刻の頃をなんとなく思い出します。今回は、あひるを元に下絵を書いたのですが、いやぁやっぱりの絵が下手というのは、彫刻をするにあたってもかなり弊害になりますね。なんども書き直したのですが、ひよこにしか見えない状態になってしまいました。というよりも、ひよこか何かの化石の様な感じになってしまいました・・・。
13時から初めて、タイムリミットは16時30分。16時30分に来待ストーンを出て、17時にレンタカーを返し、17時28分に松江から電車で出発というプランです。ゆえに、16時30分は厳守となるわけですが、いやぁ、3時間も床に膝を着いて、のみで石を削る作業というのは、やはり大変です。腕は痛くなるわ、腰は痛くなるわ。ちょっと気を抜いた好きに枠にあたる部分がかけてしまった為、しょうがなしに、枠を完全に排除。これでうまく行くと思ったのですが、余計に化石の発掘の様になってしまい・・・。
ちなみに、彫りが一番深いのは、A女史。思い切りよくのみをカンカンって感じで突いていき、いい具合に掘れていきます。A女史曰く、「もう、思い切りよね」ってな具合です。すごいすごいと関心してしまいます。
Y氏は二度目なだけあって、文字入りの難しい図柄に挑戦。本人曰く、『難しい』ってことでした。字を入れなければ良かったともいいながら、掘っていきます。確かに難しい様で、昨年の思い切りのよさは今年は見れませんでした。まぁ、深ければいいってもんでも無いんですけどね。
総合的になかなかいい具合と思ったのが、M女史。これが、また黙々と作っていきます。かなり真剣に取り組んでいるオーラが出ていました。でも、ホントに外枠がきちんと残っていて、彫りが深いので、なかなか見栄えがするんですよね。
そんなこんなで、悪戦苦闘する我等の後ろでは、伝統彫刻家が作品を作り上げていきます。また、昨年と違って気候も良いので、観覧していかれる方も沢山おり、なんだか恥ずかしくなってきます。
ところどころで休憩をとりながら作っていたのですが、驚いたことに、石彫り体験の案内看板が昨年から書き換わっていました。「要予約」だったのが、「係員にお申し出ください。」になってました。これなら、いつ行っても石彫りが体験できます。唯一の問題は、掘った石をどうするかってことだけなんですが・・・。これさえクリアできれば、大変面白い石彫り体験になるわけです。
てな具合で、16時すぎに終了。ご指導いただいた方に挨拶をして、送ってもらう様にお願いして、工房を後にしました。駐車場で記念写真を撮影して、いざ松江へ向かいます。16時55分頃に松江駅到着。友人を先に下ろして、シャミネの土産物コーナーにいる様に告げて、レンタカーを返しにいきます。その前に、ガソリンを入れて返却せにゃなりませんから、スタンドを探すのですが、なかなかうまい具合に見つかりません。結局、国道9号線沿いにあるスタンドにしたのですが、ここからレンタカー屋さんへの方向は渋滞している模様で、動いている様子が全くありません。ガソリンを入れている間に徐々に時間が過ぎていきます。17時を過ぎると、1分、2分があせってきます。ガソリンスタンドを出発できたのが、17時8分か9分。結局、南北の道路を利用して、先に北側へあがり、レンタカー屋さんのすぐ南側に出てくる道と当て込んで、向かいました。気が気では無く、電車に乗り遅れる可能性も秘めており、どうなることかと思いながら、レンタカー屋さんへ車を走らせました。東西の筋を走っていると、トヨタレンタカーの文字を発見。時間は17時12分。看板のところで、駐車場に入ると・・・あれ?本当にただの駐車場だった様で、トヨタレンタカーさんは、壁の向こうでした。
うっ・・・・まぎらわしいって思いながら、再度車道を出て、すぐ横の交差点を左折、今度こそ、駐車場に入りました。車を止めると、外で洗車している従業員の方がいらっしゃったので、その方に車検証とガソリンの満タン証明を提出すると、ほどなく返却は終了。時計を見ると、17時15分です。とりあえず、駅までは大体5分かかるとして、8分。十分に間に合う時間ですが、何があるかわかりません。少し急ぎ足で、駅へ向かいました。道といっても、レンタカーの営業所から北へ3分ほど歩くと、JR松江駅の高架にあたりますから、後は、高架下のショッピングセンターのシャミネの中を西へ歩くだけです。ただ、時間が無い時の駅の高架下って妙に広いというか遠いというかそんな感じを受けます。
改札を通り抜け待合室付近にさしかかると、Y氏らが土産物売り場から出てきたのを確認できました。M女史にお土産ばうする?と言われ、時計を見ると、19分。ぱぱっと5分ほど見て回ることは可能と判断し、乗車券をY氏に託し、急いでシャミネのお土産物売り場に向かいました。何度か来たことがありますのでどのあたりに何があるかは把握しています。ざっと店内を見て回ってめぼしいものが無かったので、あたりさわりのないお菓子類にすることにしました。
結局、本当に5分で買い物を終え、皆と合流し、改札を通ったのが25分。ホームに上がって飲み物を購入している時間だけで電車が入ってきました。いやぁ、なんとも慌ただしい時間を過ごした感じです。
電車が動きだすと、とりあえず、食べなければいけないお菓子を取り出します。煮干しの他に3品ほど残っています。果たしてこれをどうしようかということになるのですが、なんだか、2日間の干物攻撃にアゴがだるい感じです。飲み物は喉を通るのですが、煮干しを食べるのがやっとの状態で、米子に到着。進行方向右手の窓から、新型特急列車が見えるではありませんか!山陰地区高速化事業に合わせて導入された特急列車です。あれに乗ってみたかったんだけどなぁと思っていると、たまたまカメラを出していたM女史が窓越しに撮影されましたが、なんといっても露出不足になる為、シャッタースピードが遅くなってしまい、手振れがちになってしまいます。やっぱりホームに出て撮影ってのがいいのでしょうが、1分程度しか停車しない上に、向かいのホームとなれば、それはかなわぬ夢。
とはいえ、新型特急列車ですから、次第に利用機会が増える可能性が高いわけですから、そんなにあせるものでも無いのですが・・・。どちらかというと、廃止間近の列車の方が重要ですよね。
その後は、FIVA君に写真データの転送作業。この3日間の撮影枚数を計算し、最多撮影枚数を発表。いやぁ、撮影旅行であったということが実感できる枚数でした。3人合計で、897枚。一人あたり約220枚といった数量。最多撮影者は、M女史で268枚。次点が256枚で私でした。Y氏は、3日目に体調を崩してしまったことから221枚と振るわず、A女史は、デジカメの機能で、保管するかどうかを決定できるそうで、気に入らない写真は保存しなかったことから、枚数としては、少なくなった様です。とまぁ、私の場合、下手な鉄砲も数うちゃ・・・当たらなかったんですが・・・。
で、ひとしきり見ると、さすがに眠気がやってきて、無言になりがちでして、その結果は気がつくと倉敷を出発したところでした。電車の中で食べるべきものがまだまだあったのですが・・・。そのまま、岡山駅で途中下車。目的は、本当に『吉備団子』を購入すること。駅前の地下街のお土産もの売り場で、色々と試食してきびだんごを購入しておりました。島根旅行に『きびだんご』。いったいどこに行ってきたのか・・・。
で、この日の晩御飯を岡山駅の地下街にあるレストランで取ることにしました。というか、それを当初から予定しておりまして、わざと乗り継ぎの新幹線を1時間20分ほど後にしておいたのです。ちなみに、レストランにしたのは、食べたいと思う人とあまりいらないと思う人がいたので、両方の意見を取り入れるとなると、喫茶も可能なレストランということになったわけです。腰を落ち着けると、Y氏がお手洗いにいかれたのですが、かなり長い時間がたっても、なかなか帰って来ません。「いったいどうしたのか?」と思っていると、しばらくしてようやく本人を確認することができました。話を聞くと、体調がどんどん悪化した様で、逆上せもあった様で、鼻血がでてしまい、なかなか止まらなかったそうです。
ほどなく、万全の体制を整えて、いざ岡山駅の新幹線駅に向かうのですが、ここの駅、なかなか構造が複雑でして、新幹線改札口にたどり着くのに思ったよりも時間がかかってしまいました。ホームにつくと、まさしく電車が入ってくるところでして、ほとんど待ち時間が無い状態でした。
列車は、ひかりレールスターのサイレンスシート。車内放送が無く、静かな車内を演出しているのですが、土・日となると、やはりグループ旅行に使われるため、静かとはいえない車内になっておりました。私たちグループも気にしていたのですが、周りがそれだと、あまり気をつかっても・・・ということで、普段と変わりませんでした。ところで、レールスターですが、再三申し上げている通り、これが普通の新幹線の料金で利用できるというのは、すごいことだと思います。足元も横幅もゆったりしており、白熱色の落ち着いた照明などもすごくいい感じです。いつかは、『コンパーメントシート』を利用したいと思うのですが、あれを取るのはやはり至難の技なんでしょうね。しかし、『やくも』と『ひかりレールスター』の差の激しさは驚きというか、なんというか・・・。こういう場合、素晴らしいと思うよりも、良く無い方が目立ってしまうので、在来線の列車についても、もっともっと力を入れなければいけないのでは無いかなぁと思うわけです。
ということで、新大阪駅に50分ほどで到着。いつもながら、最後のレールスターはもっと乗っていたいと思わす豪華な車両ですが、終点に到着したものはしょうがありません。これで長い長い島根旅行記を終了とさせていただきます。さて、次に島根に来るのはいったいいつのことやら・・・。
後日談:次回は3月16日でした(^_^;
|