![]() 飛行機は、普段と違って、関西国際空港発青森行き。この10月より、運行開始された便で、伊丹の朝の便と夕方の便を補完する様な形で、少しゆっくりした10時45分出発13時20分到着のダイヤになっています。夏期臨時増便では、Q400を使用した伊丹−青森便が同時間帯(速度の違いにより、ズレはありますけど)に運行されていましたが、今回は定期運用で関空−青森が運行を開始した様です。 飛行機は10時45分出発ということで、10時30分より搭乗開始。10時45分に、スポットを離れて、滑走路に向かうのですが、離陸したのが11時。大きい空港というのは、何かと時間がかかるんだなぁと改めて感じました。そういや、空港横に高翼型の4発貨物機が止まっていたのですが、あの飛行機はなんだろうと、やたら気になりました。 11時に離陸した後、大阪湾で旋回、眼下に神戸空港の建設現場が見えます。これを見ると、どうして、関空をもっと大阪市内寄りに作れなかったのかなぁと、思ってしまいます。例えば、南港の沖合なんかだったら、これほど問題にならなかったろうに・・・と思います。逆に神戸空港は、なんでこれの建設を国土交通省は認めたのだろうか?と疑問に感じます。
関空というと、環境に配慮した空路を選ぶことになるので、大阪湾上空で何度も旋回しつつ高度を上げてから、ようやく名古屋方面に向かうことになります。結局、旋回上昇は15分にも及び、あらゆる面で、伊丹空港と比べると、ロスが大きいと感じます。それでも、機内案内によると、青森空港の到着は、定刻の12時20分の予定とのこと。出発時刻からおおよそ30分の間、ほとんど移動していないのに、定刻というのは何とも不思議な感じです。
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![]() その後、機長から横風が強く、安全に着陸出来ないと判断した為、もう一度旋回した後、再度着陸するというアナウンスがありました。結局、到着したのは、12時40分。この時も、横風が強く、機体は、かなり揺れながらの着陸だったのですが、着陸の衝撃は、ほとんど無く見事な着陸でした。しかし、今回の着陸はさすがに不安で一杯でした。
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空港からは、レンタカーを借りて、酸ヶ湯へ向かう予定だったのですが、とりあえず、腹ごしらえということで、空港にもどって、食事を取りました。2階のレストランひばで、「雪すずみ」というセットにしたのですが、ちょっと後悔。何も考えずに、青森の名産が沢山あるということで、注文したんですけど、「冷たい長芋そば」に「イカとホタテのにぎり」、さらに涼しげな「寒天のデザート」。4〜10月の限定で、かつこの名前なわけですから、これは当たり前なんですけど、風の強い今日注文する様な商品では無かった様です。おいしいんですけど、心底「涼んだ」感じがしました・・・。
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![]() 2時過ぎに、雪中行軍遭難者銅像のある銅像茶屋の駐車場に到着。さて、記念館はと見回したら、どうやら茶屋の裏手にある様です。風は、目茶苦茶は冷たく、かつ強いので、すばやく記念館へと移動することにします。入館料は200円。茶屋のお土産屋さんの方が受付を兼任している様でした。
入ってみると、雪中行軍の志望者の出身地の一覧が目に飛び込みます。しかし、青森県の出身者は少なく、岩手県、宮城県出身の犠牲者が多かったのが一目で分かります。雪中行軍遭難に関してのあらましが書かれた案内があり、それを読んでようやく分かったのですが、当時、青森県出身者は弘前へ配属されることが多く、青森は岩手県、宮城県の出身者で占められていたそうです。この事も今回の悲劇の要因とされていました。 |
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