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餘部鉄橋 2003春編(2003/5/24)

 

 国道の方に出て、また歩きはじめます。先程、このあたりの民宿の方らしい人が大勢集まって井戸端会議をされていました。もしかすると、今日は、大勢のお客さんがやってくるのかもしれません。その後忙しそうに、各宿に戻っていた様に見えましたので、そう思っただけかもしれません。横断歩道のところに、「飛び出し坊や」ならぬ、「両さん」の看板を発見。ドラえもんというのは、良くみかけますが、こち亀の両津巡査長というのは、初めて見たと思います。

 餘部鉄橋は、遠くから見ると、なおさらその威容に驚いてしまいます。それこそ、銀河鉄道999の線路みたいな感じにも見えます。コンクリート柱ではなく、鉄柱で組上がっているので、線が細く独特の雰囲気を感じさせてくれます。たまたま、そこを一両編成の気動車が走っていったのですが、妙な趣を感じさせてくれました。しかし、こうやってみていると、良くもまぁ、こんなところにすごい鉄橋を作った物だと思いますし、強度が持っている事すらも驚きです。
 その下には、餘部鉄橋事故を言い伝える慰霊碑があり、大きな観音様の像があります。負の遺産ということもあってか、あまり詳しいことは周囲の看板には載っていないのですが、この像の横にある引き出しには、餘部鉄橋事故を伝える写真と、その事故を告げる小冊子が入っていました。当時、カニの加工工場があった跡地は、現在、喫茶店とこの慰霊碑に変わっており、当時の面影はありません。当時の写真と変わらないのは、餘部鉄橋の橋桁だけがそのままであるといった感じに移ります。
 

 鉄橋をくぐり、写真を何枚か撮影するのですが、やはりその威容にはただただ圧倒されます。この上から列車が落ちてくる恐怖は、計り知れないものがあると思いますし、水産加工工場の犠牲者がクローズアップされますが、この事故では、食堂車の方と車掌が事故に巻き込まれ死傷されています(確か、車掌が死亡し、食堂車の方が重症だったと思います)。この落ちていく列車に乗っていた方は、どういう気持ちだったのか、また、落ちてくる直前の水産加工工場はどうだったのかなどを考えていると、どうしても、慰霊碑に向かって写真を取る事はできませんでした。
 海側には、簡単な展望所があり、餘部鉄橋を撮るもよし、海を撮るも良しということで、なかなか絶景ですが、残念なことに薄曇りの常態です。色々なアングルから撮影しようと、餘部駅の入り口付近に向かっていたりしていたら、自転車に乗った小学生ぐらいの女の子が、「こんにちわ」とすれ違う時に挨拶をしてくださいました。ここでも、自然な挨拶。どうやらこのあたりの小学校では、誰かれ無しに挨拶をしようということが教えられているのかもしれません。いや、これ、本当に町を歩いていても気分がいいもんです。ふと、島根県の益田市を訪れた時のことを思い出しました。

  

 一通り写真も撮り終え、まだ50分程度時間があったので、少し遅い昼食にすることにしました。駅へ向かう時間を考慮して、食事に割り当てる時間は約40分。ちょうど餘部鉄橋の北側にある喫茶あまるべというお店に入りました。田舎の国道沿いにある喫茶店という雰囲気です。中に入ると、先客が一組とお店の方が一人。特にこれといった特徴は無いのですが、カレーの種類が妙に多いということに驚き手した。定食類も結構充実している様で、時間がある時は良さそうな感じなのですが、あまりややこしいものを頼んで、時間がかかってもいけないということで、シーフードカレーにしました。コーヒー付きで750円。高くも無く、安くも無くといったいい値段設定です。というか、コーヒー無しだと550円でしたので、最近の喫茶店の値段を考えると、安い部類に入るかもしれません。
 私が入った後、立て続けにお客さんがやってこられ、いきなり店内は慌ただしくなってきました。故に、カレーは手早くでてきたのですが、コーヒーが出てくるのに結構時間がかかり、ちょっと列車の時間が気になる感じでした。といっても、それほど慌てたというわけではありませんけどね。
 でも、予想は的中しており、定食でもちょっと高めの焼き肉定食はなかなか、凝っている様子で、お皿に盛りつけされているかと思いきや、丼風のお重に盛りつけされており、なんだか、見た目のボリュームも満点。どうやらこれを作るのに時間がかかった様で、コーヒーが遅かった様です。

 ということで、コーヒーは急ぎ気味に飲んで、予定通りに餘部駅へ向かいます。餘部駅へは、あの高い餘部鉄橋の高さにホームがあるわけですから、結構急な上り坂を登っていきます。でも、この坂の途中で餘部鉄橋を見ると、鉄橋の建設美の素晴らしさに目を奪われます。ホームに登ると、不思議な壁画が目にとまります。餘部鉄橋をバックに人々が石を運んでいるという絵なんですが、これはいったいどういう状況の絵なのかが全くわかりません。もしかすると、餘部駅を作る際の人々の苦労を描いたものなのかもしれません。なんでも、餘部駅は、山陰本線の開通から随分後に嘆願によって出来たそうで、それ以前は列車がこない時に餘部鉄橋を渡って、トンネルを超えて鎧駅から利用していたそうです。故に、餘部駅は人々の願いであっただろうし、苦労して作られたその様子を後世に残す為の壁画なのかもしれません。何か説明文があれば、結局、それらしきものは見つかりませんでしたので、先述の説明は、かなり眉唾物です。あくまで、私の憶測ですので、ご注意ください。
 

 餘部鉄橋はやはり有名な鉄橋故に、駅にもその諸元がかかれた看板が掲げられています。それによると、高さ41.45m、全長310.59m、施工明治42年12月、開通明治45年3月1日とあります。約2年3ヶ月と当時の金額で2万円の巨費を投じて作られた旨が書かれています。橋脚はアメリカ製で、橋は石川島造船所製だそうです。そんな当時によくも作った物だと、驚くばかりで、当時の技術力から考えると、多大な犠牲も伴ったことなんでしょう。今に残る技術的遺産の様な気すらしてきます。
 しかし、この餘部鉄橋が原因で、浜坂と香住の交通が分断されることがしばしばあり、現在、この鉄橋のかけ替え工事が検討されています。5月30日にどの様にするか決定するとのことですが、さてどの様になるか大変興味のあるところです。でも、鉄橋故の優美さがあったので、高速道路の様なコンクリート橋になるのは、あまり頂けない気がするんですが、そのあたりも含めて色々と検討されることなんだと思います。となると、この橋も後、何回見る事、通る事が出来るのかといったことを考える様になり、一層、感慨深いものに感じます。

 山陰「本線」だなぁと実感できるのが、ホームの大きさで、端から端まで歩くと、結構な距離になります。ちょっと前までの運転されていた客車列車の名残なのでしょう。お客さんが少ないので、列車を減らして、列車が少ないのでお客さんが減ってといったことが繰り返されて、今は日中一両か二両程度で十分にまかなえる様になってしまったのでしょう。ホームの手持ち無沙汰が妙に気になります。
 

 さて、列車にゆられて、今度は豊岡に向かいます。バスは16時30分に城崎を出発することになっていますが、豊岡だと17時10分。城崎に列車が到着するのが16時過ぎで、豊岡には16時20分ということになるので、滞在時間が長くなる豊岡駅で下車することにしました。特に、何が目的というわけではありません。
 豊岡駅は、北近畿タンゴ鉄道との乗換駅ということもあり、兵庫県北部の中心駅といった感じです。京都府側が福知山だったら兵庫県側が豊岡といった具合です。町の規模などは福知山に比べるとそれほど大きいわけではありませんが、駅の作りや構内の大きさなどからは、重要な駅として扱われていたことがよく分かります。

 とりあえず、駅から歩いて神武山公園を目指す事にしました。バスは途中の警察署前から乗車すれば、まぁいいだろうと思ったわけです。ただ、列車の中で見たアトラスマップだけが頼りで下の手、もう私の記憶に足るよ以外には方法はありません。それも、結構いい加減に見ていたので、こっちの方だろ?って感じで町中を歩いていきます。ぶらぶらとしていると、斜め前に止まっていた車がバックしている時に、電柱に衝突、音を聞いてそちらを見たら、まさにリアガラスが割れるところでした。ゆっくりとバックしている時にぶつかったといった感じなんですが、リアガラスの見事な割れ方に驚いた次第です。
 結局、神武山公園にはたどり着けず、もっと西よりを歩いていた様で、山王公園が目に入りました。ここも急な坂を登るのですが、日吉神社という神社がありました。どうも、山王公園は、この日吉神社に併設されているといった感じです。小高い山の上にあるので、豊岡の市街地を一望出来るといった感じです。よく田舎の方を旅していると、この様な公園や神社に訪れることが多いのですが、やはりいいもんです。
 

 時間もあまり無くなってきたので、そのままバス道へ出て、警察署前から空港連絡バスに乗車しました。普通のバス停だったので、私以外に乗車する人はいないだろうと思っていたら、意外なことに、もう一人お客さんがいらっしゃいました。これには、ちょっと驚きでして、この間の北海道からの空港連絡バスとはえらい違いだと思います。こちらでは、例え1便38人乗りの飛行機でも、10人程度はバスに乗車されているんですよね。小さい飛行機故に、「あ、この人、朝の飛行機で一緒だった」という人が何人かいらっしゃったりします。いや、この飛行機の運航時間・値段を考えると、ちょっと但馬というのがぴったりなんですよね。
 日帰り旅行にしては、やはり高い値段と言えますし、電車やバスといった手段も使えるのですが、こういうちょっとした贅沢もいい物です。今度こそ、「すっきり晴れた餘部鉄橋」を目的にしたいのですが、出石の町にも行ってみたいと思う様になりました。やっぱり、山陰地方って私は好きなんですよね。

 

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