|
久々の観光!?柳川と筑豊編 その2(2002年6月14日〜15日) |
翌朝8時に目を覚まし、9時頃にホテルで朝食。洋食と和食が選べるのですが、ご飯が食べたかったので、和食を選択しました。和食の場合、ご飯とお味噌汁がお代わり自由で、洋食の場合、コーヒーのお代わりが自由でした。和食の場合、コーヒーは別注文となり300円。食後の一服がちょっとお金かかるなぁと思えたのですが、時間もあまりなかったので、コーヒーは注文せずにすぐさま出発しました。
昨日気になった五穀神社に立ち寄ろうかと思ったのですが、ふと地図を見ていると、久大本線が久留米から分岐していることに気づき、JR九州で筑前に向かうのも悪くないと思い、五穀神社をパスしてJR久留米駅まで歩くことにしました。途中、見た看板によるとJR久留米駅まで1.8Kmとありましたので、ホテルからだと大体約2キロメートルの距離になるのでしょう。それでも、昨日と同じく気候は良く、風が吹くと、なんともすがすがしい気持ちにさせてくれます。
歩くこと約30分、久留米駅に到着。駅前の雰囲気はあきらかに西鉄駅の方に中心があるという雰囲気ですが、バスターミナルが大きく取られている様に見受けられました(というよりも、営業所だったのかもしれませんが・・・)。それでも、久大本線と鹿児島本線の分岐駅ということあり、気持ち存在感がある様に感じられました。
時刻表も調べずに駅にやってきた為、とりあえずダイヤの確認、と8分後に発車する表示があるものの、日田行きとあり、これが私が乗りたい日田彦山線の分岐駅までいくのかどうか、また、私が行きたいと思っている筑前っていったいどの当たりで、どの駅で下りたらいいのかと謎は深まるばかり。駅が決まらないと乗車券の購入も出来ないので、いそいでみどりの窓口に入って、時刻表をペラペラとめくって、日田彦山線との乗り継ぎ駅を確認。夜明というなんとも風流な名前の駅。でも、聞いたこと無いなぁと思いながら、日田彦山線の夜明駅経由で、田川後藤寺までの乗車券を購入することにしました。田川後藤寺にした理由は、平成筑豊鉄道や後藤寺線の分岐駅で、名前を聞いたことがあるというだけで、そこに何があるのかは全く知らずに目的地に決定しました。
急いで、列車に乗り込むと、なんともローカル風情が漂っています。2両編成のディーゼルカーですが、JR九州特有の黄色のディーゼルカーです。横には英文字で、YELLOW DIESELCARと表記されていた様に思います。あれ、LOCALって書いてたかもしれません。そのあたりは、かな〜りうろ覚えです(^_^;
とりあえず、売店で九州内だけの時刻表を購入。列車の中でようやく落ち着いて、時刻表をめくることにしました。これで、田川後藤寺での滞在時間が図れるってもんで、どうも時刻表を持っていないと不安になってしまうので、いけません。ざっと時刻表を確認してみたところ
なんと、夜明駅で1時間程度の待ち時間が発生することに気づきました。乗車券は夜明経由ですから、乗り越して日田駅で折り返しの列車を待って時間をつぶすべきか、夜明駅で下車して1時間ぼ〜っとすべきかを悩みながら、初めての久大本線の旅が始まりました。
すべてのボックス席が埋まる程度の乗車率ですので、空いているといえば空いています。そんなに目茶苦茶詰め込んでいるという雰囲気でないところが、とても好感が持てますが、たまたまこの列車がそうだっただけかもしれません。
南久留米の小さな駅に到着。どうやら昨晩訪れた久留米温泉からさほど遠いわけではなさそうです。ここまで歩いても良かったかなぁと思いながらも、列車の時間がわからないですから、そんな状態でここまでやってきても・・・と思いながら、南久留米駅を出発、続いて久留米大学前駅に到着。新しく作られた駅なのか、ホームなどの造りが半地下構造になっている様で、ローカル線の中に目新しい雰囲気を感じました。
そのあとは、時刻表に目をやったり、車窓に目をやったりしながら、九州の山の中に入っていきます。もしかすると、私が求めていた田舎ってこんな雰囲気なのかもしれないと、広大な田んぼを眺めます。これが、筑後平野なのかなぁなどと思っていたのですが、何の確証もありません。
田植えが終わり、一段落といった雰囲気が漂い、太陽の日差しがとても印象的でした。ほとんどの駅が無人駅のため、後乗り前降りのワンマンカーです。田主丸駅とちくご吉井駅でまとまった乗降客がありました。ちくご吉井駅は原鶴温泉とかいう温泉の最寄り駅らしく、駅前に大きな看板がかかっていましたが、ローカル列車で訪れる客は少ないでしょう。あとで、地図で調べたのですが、実際に原鶴温泉へ向かうには、うきは駅の方が近い様です。しかし、道路がちくご吉井駅の方が整備されている様で、原鶴温泉への表玄関にちくご吉井駅がなっている様に思われました。ただし、特急ゆふいんの森は通過、特急ゆふは1号と5号がちくご吉井駅、3号がうきはに停車という千鳥式になっています。「特急停車の綱引きの結果かなぁ」などと推察したりします。
ちくご大石の次が乗換駅の夜明。ここで、一大決心をして、夜明駅で乗り換えることにしました。おそらく駅前には何もないだろうと思いながら、下車する準備をしました。案内放送でも日田彦山線の乗り換え案内があります。乗り換えの案内があっても、1時間ばかり時間があるんだけどなぁ・・・と思いながら、荷物を持って、一番前の出口まで歩きます。峠を超えるのか、かなりの力強い走りを感じさせながら、橋を超え、トンネルを超えながら列車は夜明駅を目指します。なんとも、風流な名前と思いながら、下車。私以外に下車する客はなく、運転手さんも『乗り換えですか?』と声をかけてくださいました。乗換駅らしく3番線まであるホームなのですが、ホーム幅がせまくベンチもありません。ありゃ、こんな炎天下の中1時間も過ごすの?とぼ〜っと考えていたら、運転手さんが、「次の列車まであと1時間以上ありますよ。」と教えてくださいました。とは言え、どうしようもなく、とりあえず、駅舎へ向かうことにしました。
乗換駅でありながら、こじんまりとした小駅で、付近の方が管理しているのか、花が沢山植わっていました。この日も、年輩の女性が花に水をやりにこられており、しばらくすると、その旦那さんらしき方が、新たに花を運んでこられていました。これは、暇つぶしの絶好のターゲットとばかりに、駅舎周囲にある、花を各種撮影。そうこうしていると、列車の通過の警告音がしたので、ホームにでてみると、ゆふいんの森が通過しているでは無いですか!あわてて、カメラを向けたのですが、花を撮影していた最中でしたので、マニュアルフォーカスのマクロモードでかつ、マニュアル露出とまぁ、私の技術では到底おいつけない設定にしていたため、一応、撮ってみただけの写真ができてしまいました(^_^; 深い緑色の車体に金色のライン。なんとも格好いい車両だなぁと思いながら、去っていったのを見るにとどめました。「いつかは乗ってみたい」そう思う、憧れの列車です。
夜明駅の駅舎に戻ると、駅の片隅に、ノートがあるのを発見しました。夜明駅を訪れた方が自由に書いてもいいノートらしく、かなりの冊数になっていました。管理しているのは、夜明駅から遠く離れたところに在住している学生さんらしいのですが、綺麗にまとめてあり、丁寧にコメントが書かれていたのには驚きました。ということで、駄文ながら私もひとつ記入することにしました。あそこにも、ここのページのアドレスを書いておいたのですが、効果ってあるんですかねぇ。夜明駅のノートをご覧になって、このホームページに訪れた方がいらっしゃったら、是非ご一報くださいm(__)m
駅が高台にあるので、階段を降りると古い丸ポストが現役として使われていました。つい最近まで私の職場近くの駅前にあるポストもこれだったのですが、1年ほど前に取り替えられていましたから、使っているということ自体が希少価値になってきたなぁと思いながら、とりあえず一枚。
国道を挟んで、向かい側に三隅川が流れており、こちらの川の水量も江の川並に並々と水量があります。水量が多いのは、この下流に夜明ダムがあるので、それで水を止めている関係かもしれませんが、その風景は絶景と言えると思います。
ふと駅を見上げると、夜明温泉徒歩10分という看板が目に入りました。次の列車まで50分程度時間があるので、ちょうどいいやと思い、歩いて行くことにしました。ところが、この国道歩道が無いので、ちょっと危険な雰囲気が漂っています。路肩に身を寄せて歩くのですが、路肩が狭い上に、信号があまりないので、車が結構なスピードで飛ばしていきます。びくびくしながら、歩いて向かいました。
10分ほど歩いたのですが、夜明温泉という文字は見えず、なんともさびれた雰囲気のドライブインが道路向かい側の川側にありました。ちょうど、川を撮影するにはいいやということで、そちらで川の写真を何枚か撮影。結構な絶景ポイントだなぁと思いながら、川を眺めておりました。
結構広いドライブインなんですが、結局、夜明温泉とは何の関係も内容で、時計をみると、あと30分程度しか時間が無いので、風呂に入るにはさすがに短いなぁと思って、探索を中断。駅に戻ることにしました。1本列車を遅らしても全然問題なかったのですが、次の列車まで2時間となるとさすがに、ちょっと考えてしまいます。
今度は、川側を歩いていたのですが、途中ガードレールが途切れるところがあり、路肩ぎりぎりを歩いていると、川に転落してしまいそうな感じでしたので、車が途切れるのを待って、反対車線に移動しました。いくぶんか安心して歩けますが、今度は、右カーブなので、車かが路肩ぎりぎりにやってきたりしたら、危険なので、前を伺いながら歩かねばなりません。田舎の車道しか無い道ってこういう時に難儀なんですよね。他に歩いている人は皆無ですが、自転車に乗っている人は見かけるので、こうやって歩いているのもそんなに変じゃないのかな?と思ったりしながら、駅を目指しました。列車の音が聞こえると、黄色のディーゼルカーが頭の上を通過。12時丁度に夜明駅を発車する列車の様でした。ということは、私が乗る列車まであと30分弱といったところだなぁと目星をつけて、夜明駅に到着。
ホームに上がって、またもやホームの写真を取ることにしました。駅の雰囲気がローカル線のたたずまいを残しており、かつ国鉄時代を彷彿とさせる様な看板もあるので、どうも写真をとらずにはいられなかったのでした。勿論、ホームに植わっている花も何枚か撮影。跨線橋に登って、日田彦山線の下り列車が発車していく風景をとったりなんかしていると、あっと言う間に30分程度過ぎていきます。ローカルな夜明駅で下車したことは、結果的には正解であったと満足げに到着した日田彦山線の列車に乗り込みました。唯一の心残りは、夜明温泉なんですが・・・。あとから、ホームページを調べてみると、どうやらそのドライブインのちょっと先だったみたいです。入湯料300円も魅力的だなと思ったのですが、時間的に苦しかったので、しょうがないでしょう。
ところで、ホームに戻ってから気づいたんですけど、夜明駅って『大分県』だったんですね。いやぁ、いつの間にやら大分県に足を踏み入れていたんだなぁと驚いた次第です。
日田彦山線はさらにローカルムード満点でして、2両編成にボックス席だ7割程度埋まるぐらいの乗客を乗せて、小駅を進んでいきます。山間の急峻な谷を進んでいきます。窓から見える風景が私の心を癒してくれます。駅に到着すると気になるのが、現在の県名で、結局、3駅ほどすすんだ宝珠山駅からまた福岡県に戻りました。一瞬の大分県だったんですけど、それでも訪問できたというだけで満足。大分県の地に足を踏み入れたのは、小学校5年生の頃の国東半島への旅行依頼ですからそれこそ15〜6年ぶりだったことになります。
筑前岩屋を過ぎると、長大なトンネルを抜けて、彦山駅に到着。英彦山が国立公園だったか国定公園だったかになっており、観光スポットになっている様です。が、しかしここもまた、列車利用ではなく、マイカー利用が中心の様で、立派な駅はあるものの、無人駅となっていました。まぁ、この列車本数だとある程度はしょうがないのかもしれませんが・・・。
添田駅に到着すると、まとまった乗降があり、町に出たという雰囲気がありました。駅構内が広く、駅舎がホームから離れている点や、空き地になったところから、目新しい道路が伸びているところから、もしかすると廃止ローカル線があった跡では無いかと想像しながら、車窓を眺めていました(その後、調べてみたところ、添田線の分岐駅だったそうです)。
ここからは、今までと違って民家が近くにあり、同じローカル線でもずいぶん趣が変わり、田川後藤寺駅に到着。下車してみると・・・新しいゆえに小さくなってしまったと思われる駅舎がぽつんと立っているといった感じでした。思っていたものと違う・・・と思いながら、観光案内図などを探すのですが、それらしきものはなく、とりあえず、駅前商店街を歩くことにします。
駅から歩いて3分程度のところに後藤寺バスセンターがあり、ここから多くの西鉄バスが発着していました。そこで、じ〜っとバス路線図をみていると、『西鉄伊田』とあるではないですか!西鉄電車がここまで走っているのかと思って、そこまで向かってそこから福岡まで西鉄で戻ろうと思い立ち、バスの時刻表を見たところ、5分後に出発ということがわかりました。なんともタイミングがいいなぁと思いながら、乗車券を購入してバスに乗車しました。石炭資料館の横を通って田川伊田駅を経由、そこから橋を渡って、どんどん山の方へ向かいます。果たしてこんなところに西鉄電車走っているのか疑問に思いながら、西鉄伊田バス停で下車・・・。
西鉄電車の『に』の字も無いようなところで下車した私は、途方にくれざるを得ません。そうです、西鉄伊田バス停は、西鉄バスの伊田バス停だったのです。あ〜、紛らわしい!西鉄バスの伊田営業所が近くにあるのでしょうけど、それらしきものは発見されず、いったい私はなんでこんなところで下車したのかと思うばかりでした。
せっかくやってきたので、ゆっくりと筑豊の空気を味わうべく、歩いて田川伊田駅に戻ることにしました。道は、なんとなくうろ覚えでしたが、そんなに交差点を曲がったわけでは無いので大丈夫だろうと、踏んでの実行でした。
照りつける日差しが暑く、とりあえず、セブンイレブンで私が贔屓にしている出雲のアルカリ天然水を購入。決心は強いんですけど、そんなに大した距離ではなく、ものの15分程度で、駅近くの彦山川まで到着。ちょうど橋がかかっているのですが、この橋に併設して堰が出来ており、その堰から橋を被写体に写真撮影をしていました。その時、たまたま歩いてきた方を見てみると、大きな鳥居が目に入りました。時間もあることだし、その鳥居まで行ってみると、かなり大きな鳥居に圧倒されるのですが、本殿だけの大きいのか小さいのか一体何?と思ってしまう神社です。鳥居の前にはかなり大きな駐車場があり、これだけ参拝がある由緒ただしい大きな神社なのかと思うのですが、その割には社務所もなければ、賽銭箱も見当たらず、不思議な神社だなぁと思いながら、本殿らしきところまで入りました。それにしても、鳥居はものすごく立派でなんか、この鳥居を見ただけでも価値ある気分になっていたのは不思議な感じです。本殿らしき建物の周囲で、子供が集まって遊んでいる姿が見受けられます。私もあまり外で遊んだ口では無いのですが、子供の元気な声がするのは、なんともいい感じです。
結局、何かよくわからないまま鳥居から出ると横に大きな看板があり、そこに説明がありました。神社の名前は、風治八幡宮といいここは、その八幡宮のお祭りの際に使用する、御旅所とのこと。なんでも、件指定の文化財になっているそうで、本社から川を御神輿が川を渡ってくるそうです。となると、本社の方に出向きたくなるというもので、今度はそちらに向かうことにしました。
堤防の道路を歩いて向かったのですが、この御旅所の敷地を過ぎたところから、歩道が無くなり、車と対面になってしまいます。といっても、先程の夜明ほど危険なことはなく、路肩もそれなりに幅があります。まぁ、気分的には歩道が合った方が安心するんですけどね。
堤防から河原におりることができる道があり、そこから下ってみると、川を渡る低い橋というか、道がありました。普段は、左右から水が流れ、雨天などの増水時に中央の低い位置の道路の上を水が流れる水没橋とでもいうのでしょうか?そういう構造でした。確かにこの方法をとれば、安価に橋が造れるなぁと思ったんですけど、よく見てみると、この橋の堤防付近がコンクリートで階段状になっているところから、どうやら先程の神社のお祭り(川渡り神幸祭というそうです)のクライマックスになるところであろうと気づきました。ちょうど、この橋というか道路が、御神輿の通る道路なんでしょう。
とすると、この上流に堰があることから、水不足の時にもこの神事を実行する為の設備だったのかもしれません。だとすると、どうも神聖さが薄れる感じはするんですけど・・・。
この橋(?)を渡ると、自転車が数台と子供服が散乱していました。どうやら、川遊びをしている子供の脱いだ服なんでしょう。川の水はあまり綺麗とは感じられないのですが、彼らにとってはそんなことは些細なことなんでしょう。元気に川で泳いでいます。年配の男性が子供の一人を呼び、何か話をしている様でした。横を通った時に、聞こえたのが、
「こんな汚水の間近で泳がず、もっと上流行ってこい!」
とまぁ、なるほど、大人にとってみれば、これは当たり前のことなんですよね。でも、子供たちにとってはそんなことより、この位置の方が面白いことがあるのでしょう。
堤防に上がると、狭い道幅の橋があり、良く見るとこの橋の欄干に少し装飾されており、この橋が夢かメインの橋であったかの様に思います。幅が狭いので、車が一台通れるかぐらいで、対面は無理、それでも人間が歩くのは危険なので、横に人道橋が設置されていました。
ここから駅の方に向かって歩くのですが、風治八幡神社は見つからず、そのまま商店街を歩きました。日曜日ということもあって、店舗の休業が目立ち、人影もまばら。休日は、郊外に出来たショッピングセンターに出かけるといったスタイルが、このあたりにも確実に定着している様に感じました。
うちの自宅近くもそうなんですが、最近は土日に活気のある商店街というのは、なかなか難しいのかもしれません。大手のコアテナントが無いことには人が集まらない時代なのかと思ってしまいます。
商店街時代は大きいと感じるぐらいの距離があります。南北と東西に伸びており、商店街の中から平成筑豊鉄道の車両が到着するのが見えました。その風景は、都心の商店街の中から見る、民鉄(私鉄)の姿と変わらず、列車が単行であることだけが、田舎にきていると感じられました。
いったん、田川伊田駅に戻り、旅の計画を練り直します。田川後藤寺から後藤寺線に乗り継ぐのが順当なのですが、どうも乗り継ぎが悪い様なので、平成筑豊鉄道で直方まで向かうルートを選択しました。第三セクターに乗ってみるのも面白いかもしれないって思ったわけです。
次の列車まで30分ほど時間があったので、駅の裏手にある田川市石炭記念公園に立ち寄ることにしました。駅の裏へは連絡道があり、そこから坂道を登り切ると、目的地の公園です。坂道を登ると、ショベルカーがあり、「まだ工事中?」と思わすような広場がありました。中に入っていいものやら駄目なのかよく分からないのですが、その広場の奥に人影が見え、さらにその奥の遊戯施設からは子供の声が聞こえてきたので、大丈夫なのだろうと、それこそ工事中の公園に入っていきます。この工事中の雰囲気も相まって、炭鉱の跡らしい物悲しさが伝わってくる様です。空は青空なのですが、天高くそびえる仕事を失った煙突などの遺構が余計に物悲しさを強調してくる気がします。
ちなみに、ここには石炭の資料館が併設されているのですが、あいにく第3日曜日は休業日だそうで、残念ながら見学することができませんでした。外観の雰囲気や屋外展示物などからは、かなり力が入っていているように思えたので、余計に残念だったのですが、日が悪かったと考えるほかありません。
こういう公園ではよく蒸気機関車が展示されているのですが、こちらにもありました。説明によると9600型の59684という蒸気機関車らしいのですが、こちらは全然詳しくないので、ふ〜んといった感じで読んでおりました。ただ、蒸気機関車の魅力というのは、この大きな動輪と煙害ともいえるぐらいの煙でしょうか?この力強い雰囲気は電車やディーゼル機関車では味わえないと思います。こんな巨大な車輪の、それこそ鉄の固まりが走ってくるかと考えると、驚き以外なにものでもありません。ここ、石炭記念公園にたたずむ姿をみていると、蒸気機関車とともに炭鉱が栄え、蒸気機関車とともに衰退していったのではないかと思ったりします。炭鉱の力強さが蒸気機関車の力強さとオーバーラップする様な気がしました。
駅に戻って、乗車券を購入してホームにあがります。駅員さんのいる方から入ってホームにあがろうとすると、あれれれ?手前の階段がふさがれており、JR日田彦山線のホームにしかあがれないようになっています。どうやったら乗れるの?と思って、再度改札口に戻ると、天井から、「JR」と「平成筑豊鉄道」と書いた看板が下がっており、駅員さんがいない方から乗車しないといけなかったのでした。
第3セクターという別会社になった為の措置なのでしょうけど、どうも不便だなぁと感じながら、自分が間違ったことを棚に上げてホームにあがりました。長いホームは炭鉱が活気のあった頃の名残なのでしょう。手元にあった昭和53年11月の時刻表をみてみると、伊田線(直方〜伊田)の列車は18往復(後藤寺線乗り入れが2往復)で、うち「急行はんだ」が1往復運行されていた様です。
ついでに現在も残っている後藤寺線の列車本数はというと、こちらも18往復なのですが、うち7往復が下鴨生から漆生線へ乗り入れしている為、全線通しが11往復しかなかった様です。なんとも、不思議な感じだと思います。
しかし、この付近の線路はかなり整理された様で、現在、平成筑豊鉄道として残っている、伊田線、糸田線、田川線のほか、添田線、上山田線、漆生線が廃止された様です。その中から平成筑豊鉄道が発足したわけですから、地元としての思いはひときわなのだろうと考えられます。
とはいっても乗客は私以外に学生さんが一人だけでして、休日の昼間というのはこんなものなのだろうかと思いながら発車をまちました。ホームの自動販売機でお茶を購入したのですが、利用客が少ないから放置されているのか、かなり埃が溜まっている雰囲気の自動販売機でした。
レールバスなんですけど、しっかりとした大きさでなかなか良い加速を持っていると感じる列車で、直方を目指します。第3セクター化後にかなりの駅数を増やしたのか駅間が短くこまめに停車していきます。直方までの間に13駅あるのですが、これまた先程の時刻表をみてみると、なんと4駅しかありません。現在は、直方まで33分かかる様になっているのですが、当時は平均26分、急行(線内停車無し)で21分でしたから、3倍以上の駅数になっても6分程度しか所要時間が増えていないというのは、やはり高速化をしたということなんでしょう。一日1本だけある快速では、金田と赤池のみ停車で20分ですから、当時の急行よりもやはりスピードは上がっています。
不思議だなぁと思ったのは、複線区間が続いていたことなんです。ず〜っと見ていたわけじゃないのですが、もしかすると、全線複線だったかもしれません。これだったら、京福福井みたいに正面衝突もおこらないでしょうから、安全度は格段にあがります。しかし、その反面、果たしてこれでこれからもやっていけるのかという点が気になりました。とはいえ、金田をでる頃にはそこそこの乗客数でして、直方駅では20名弱の乗客にまでなっており、それなりに需要があるもんだと納得しました。
直方に到着。5分程度の乗り換え時間なのですが、ここでもまた平成筑豊鉄道とJR九州の駅がわかれており、乗り換えに手間取ります。乗換え用の連絡通路でもあればいいのですが、いったん駅舎をでて、跨線橋(これが連絡道といえなくもないのですが、ちょっと不便)を登って、跨線橋上にある小さな改札口から入りました。本駅舎は別にあるのですが、5分程度しか乗り換え時間が無いと、気持ちにそこまで行く余裕はありません。乗車券も購入しないといけないですからね。
さて、ここからは篠栗線とともに電化開業した筑豊本線に乗り換えです。最近、大幅なダイヤ改正と駅舎改良などを行った様で、あらたに特急かいおうという特急列車も走る路線に変身し、愛称も「福北ゆたか線」となりました。ついこの間までは、JR最後の定期普通客車列車(津軽海峡線に走っているのは、快速ですからね)が走っていた路線なのですが、電化と同時にこちらも消滅しました。新しいものができるということは、古いものも無くなるという典型的なパターンですね。
列車は新調されたらしい、817系。全面がブラックで側面がシルバーのなんともJR九州らしいスマートなデザインの列車です。この列車のすごいところは、ローカル列車であるにもかかわらず、革と木で作られた転換クロスシートが採用されていることでしょう。座ってみると、効果的に革張りのクッションがあり、とても座り心地がよく、驚きました。さすがはJR九州!と思いました。ダイヤ改正により、列車が大幅に増え、日中は福岡方面が1時間に2本の快速が運行されています。なお、このあたりは北九州県内になるらしく、北九州方面へは快速1本と普通が3本といった組み合わせになっていました。
路線は複線で、平成筑豊鉄道と比べると、線路状態がよくしっかりとした足つきでスピードをあげて福岡を目指します。飯塚までは各駅に停車していく快速なのですが、30分に1本のダイヤで複線は贅沢だなぁと思いながら、車窓を眺めます。ところが、飯塚を過ぎると、いきなり単線に変わります。ちなみに、新飯塚からは普通列車が1時間に一本増えていますので、列車が増えたにもかかわらず、線路容量が減るという妙な自体に・・・。単線で心細くなっても、列車の運転速度は一向に衰えず、それこそ猛スピードで駆け抜けるといった感じに思えます。
もっと博多に近づけば、複線になるのかと思いながら車窓を眺めるものの、そういう気配はまったくなく、乗客はどんどんと増えてきます。篠栗駅からは都会の列車そのもので、ホームにある時刻表みると、さらに列車が増えて、快速2本に普通が3本!1時間に5本の列車が走るにもかかわらず単線が続きます。結局、篠栗線の終点である吉井駅つでこの状態で、ダイヤを決めるにも大変な苦労があるのだろうと、妙に勘繰ったりしました。もしかすると、日本で一番列車本数の多い単線区間では無いかと思うぐらいです。
17時頃に博多駅に到着。19時の飛行機なので、かな〜り遅いですが昼飯として、博多ラーメンをいただき、お土産を購入。地下鉄で福岡空港へ向かって、大阪伊丹空港への飛行機に搭乗しました。往路に利用した第3ターミナルと違い、第2ターミナルは、あ、なるほど。さすがだなぁと思いました。お土産ものコーナーは小さいものの、広々としたチェックインカウンターにはただただ驚くばかりです。
空港の端にあるインターネット端末でちらちらっとホームページを確認したりして、時間をすごし、19時の飛行機に搭乗。往路と同じく、満席状態で飛び立ちました。本当に、この路線を休止させる7月からのダイヤは信じにくいなぁと思います。ちなみに、これを書いている6月30日の15:30分現在の空席紹介を見てみると、17時の関空便は後1席、19時の伊丹便が満席の表示をしています。JASの関空撤退を本格化しているのはわかるのですが、他社競合路線からの撤退ってのは、競争原理を放棄している様に感じてしまいます。閑散とした路線だったらともかく、それなりの乗客がいるというのに何故?と考えてしまいます。
まぁ、それはともかく、19時5分に着陸、空港カウンターには19時10分。万事問題なく、福岡旅行が終了しました。
|