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青春18切符大活躍!日帰り南紀一周編 |
友人のやここ氏とM氏の3人で、お盆休みに南紀一周してきました。「南紀に行ってきた」のでは無く、『南紀一周してきた』というところがミソです。
当初、6月頃の予定では、今年のお盆休みが例年より長い(6日間でした。例年は4日ないしは5日なんです。)ので、フェリー往復で北海道にでも行って来ようかと思っておりました。しかし、予定していた敦賀〜新潟〜秋田〜苫小牧航路の往路が売り切れ、敦賀〜小樽航路や舞鶴〜小樽航路も売り切れており、復路もかろうじて、小樽〜舞鶴がスイートルームだけ残っているといった様な状態でした。一人旅のつもりでしたから、スイートルームで乗船すると、それこそ片道6万円近い値段になってしまいますので、飛行機や電車でいくのと変わりません。そんなわけで、お盆休みに北海道は無くなり、今年は行くところがないなぁといった話をしておりました。
そこで話に出たのが、毎年恒例でやっている手持ち花火大会の実施。松屋町で『これでもか!』というぐらい手持ち花火を購入して、ほとんど夜通し花火に興じるといったもので、これの参加者を募ったところ、見事にお盆休みの予定が合わない・・・。
そんなわけで、花火も中止して、出てきた内容が、青春18切符を使っての南紀一周の企画でした。
私のお盆休み後半と、やここ氏のお盆休み前半がうまく重なり、時間の自由の効きやすいM氏の3人で実行ということになりました。ちなみに、残った2枚は、8月後半に北海道に行った時に使う予定だったのですが、8月12日に滋賀県の新旭町に行った時に使ってしまいました。
実行10日程前に急遽話題に昇ったので、どの様に向かうのがベストか色々と検討した結果、南紀一周ということになりました。私とやここ氏は、大阪府茨木市在住なので、行動を同じくすることが可能手すが、M氏は滋賀県甲賀郡在住なので、まずは草津線へ出向くことにしました。ちなみにやここ氏の実家は滋賀県甲賀郡。里帰りの用意をして、南紀一周ということなので、実家の最寄り駅を通過しての最終的にまた戻ってくるといった一周と四分の一といった行程となりました。
それで、時間を追っていくと、どうやら始発で向かわないと、草津線の終電に間に合わないということになるということがわかり、一本電車を逃すと、やここ氏の里帰り、M氏の一周は出来ないといったことになりました。そんなわけで、結構、スリリングな南紀一周旅行の始まりです。
当日、8月15日終戦記念日の午前4時30分に、いつも目ざまし変わりに聞いている、中島みゆきが流れる。午前4時50分自宅を出発。JRの最寄り駅茨木駅に向かう。日の出まで時間がある様で、あたりは薄暗い。しかし、そんな時間でも、ゴミ収集車が走っていたのには驚きであった。
午前5時10分、JR茨木駅着。ほぼ同時刻にやここ氏と出会う。とても、眠たい。やここ氏も同じの様だ。
午前5時17分各駅停車草津行き出発。始発電車とはいえ、まばらに乗客がいる。青春18切符ユーザーと思われる若人も見受けられる。時刻表を持っていない為、売店で購入を企てるが、茨木駅、京都駅ともにまだ開いていない。さすがに朝が早すぎた様だ。
午前6時12分草津駅到着。3分の乗り継ぎで、各駅停車柘植行に連絡。幸い、草津駅の改札内横の売店が営業を開始していた様だ(電気はまだ付いてなかったか)。小型時刻表を購入。本当は、中型時刻表が良かったのだが、扱っていない様であった。
午前6時15分草津駅出発。電車は、117系。この車両は、重厚な感じがあり気に入っている。福知山線などで走っているものは、扉付近がロングシート改造されているので、いま一つだが、草津線の117系は、全て転換式クロスシートで固められている。オリジナルに近いので、なお嬉しい。
午前6時55分M氏と車内で合流。後は、車掌がやってきた時に、青春18切符に記入してもらえば何もおとがめは無いはず。
午前7時5分、柘植到着。7分の乗り継ぎで関西本線亀山行きの列車がくるはず。案内放送によると、向かい側と行っていたのだが、乗車前に行き先表示を見ると、『京都』と書いてある。どうやら、この列車が出発した後に到着するらしい。
柘植駅は、ローカルムード満点である。関西本線と草津線の乗り換え駅であるが、どうみても、関西本線の方がローカル線に見える。草津線は4両編成のかぼちゃ電車もしくは、117系。関西本線は1両ないしは2両のデーゼルカー。ちょうど、関西本線の列車行き違いの関係で、3番線まであるホームが全て埋まることになり、華やかな雰囲気に包まれる。ホームを見る限り、意外と草津線からの乗り継ぎ客はいる様だ。
亀山行きのディーゼルカーはキハ120。JR西日本の地方ローカル線向け軽快気動車だ。車内はオールロングシート。行き違いの加茂行きは、一部ボックスシートのキハ120だったので、少しうらめしく思いつつ乗り込む。旅行気分を味わうのは、やっぱりボックスシートだと思うのは、旅行者の勝手なないいがかり。
有名な加太トンネルを抜けて、軽快に亀山にひた走る。2両編成の車内は、座席店員の8割り程度の乗客。車内に掲示してある、第4土曜日日中運休の宣伝を見て、サービスとはどういうことなのか、ふと考えてしまう。保線工事を効率よく行う為とは言え、代行バスすら無い状態で沿線住民の理解は得ることができているのか、かなり疑問に感じる。とは言え、車内掲示の広告からしか得ていない情報であるので、偏った見方かもしれない。
7時40分、亀山到着。JR西日本とJR東海の境界駅、紀勢本線の起点駅である。さすがは、本線が交わっているだけあり、駅構内が広々としている。往時をしのばせる様なぐらい立派なホーム群である。関西本線はここから電化されている様で、JR東海の311系電車が停車していた。えらい変わりようだ。跨線橋をわたり、7時48分発の伊勢市行に乗車。キハ40ディーゼルカーである。先程の軽快気動車とはうってかわり重々しいエンジン音と、広々としたボックスシートの並ぶ車内は、旅行気分を味合わせてくれる。
車内で時刻表をたどると、多気から先に乗車する普通列車には、次の快速みえでも間に合うということが判明。ということで、午前8時6分急遽、津で下車。三重県の県都である。今回は、カメラを持った撮影旅行みたいな感じなので、何か撮影スポットになりそうなものは無いかと駅前の案内を見る。次の快速まで30分。あまり長居は出来ない、近場を探すしか無い。と、JRの改札とは逆側に、津偕楽園なる公園があることが判明。駅前の地下道を通って反対側へ向かう。徒歩3分ほどで、津偕楽園に到着。なんてことない、ただの樹木の多い公園である。それも、さほど広いわけでは無い。それでも、何個かの銅像と、小川のせせらぎなど『無理やり』被写体を見つけて撮影。私は、この間購入したND8とND4のフィルターを試したりして、思い思いに20分ほどを津偕楽園で過ごした。他にもっと何かあったのだろうが、何といっても先が詰まっているので、これで終了。
とっとと駅に戻る。今度は、跨線橋上にある近鉄側の改札口から乗車を目論む。確かに階段には、小さな字でJRと書いてあるので、入れるのかもしれないが、どうみてもそこは近鉄の改札口である。券売機も近鉄のものばかりが並んでいる。
恐る恐る、有人改札で、『入れます?』と聞いたところ、「どうぞ」ってな感じでした。駅業務の効率化の為の委託だったんですね。そうやって見ると、確かにJR側の改札口には近鉄の乗車券も『ひっそり』と販売していました。
津駅構内にあるパン屋さんで、朝食を購入。気になったのは、『ひまわり』というパンだったのだが、ボリュームが大きそうだったので、断念。普通の菓子パンを3つばかり購入。ここの辛口カレーパンは、その名の通り、辛めでした。
快速みえが入ってくる数分の間も、カメラを持って、ホームで色々と練習。列車が好きなのは私なのですが、どうも私は列車の撮影は下手な様で、さほど列車に興味のない、やここ氏は妙に列車を撮影するのが上手。『好きこそ物の上手なれ』とは言いますが、どうやらこれは、私には当てはまらなかった様子。まぁ、列車は撮影するとか見るといったことよりも、乗る方が好き・・・と今さら言ったところで、負け犬の遠吠え。
ちなみに、私は青春18切符で旅行する際、どういうわけかお茶の消費が増える傾向にある。この日も、早朝500mlのお茶を購入した後、柘植、津で購入。この後も、M氏の4倍、やここ氏の2倍程度の速度でお茶を購入。
快速みえは新しいタイプの気動車かと期待していたものの、実際に入ってきたのは、キハ40。それでも、ボックスシートなので、良しとする。8時41分津出発。9時5分多気到着。9時31分の普通新宮行きを待つ。ホームには、新宮行きの前に来るワイドビュー南紀を待っていると見受けられる乗客と、我々と同じく、新宮行普通列車を待つ乗客が20〜30人程度いる。
ここから先は、13時18分までの長丁場になる為、なんとしてでもボックスシートをとりたいところ。列車も重厚な国鉄時代の気動車が望ましい。5年ほど前に乗車した時は、車掌乗務の3両編成が走っていた為、悠々と乗車出来た記憶がある。
入ってきたのは、キハ11。JR東海の一般ローカル車であった。JR西日本のキハ120よりは大きいものの、ボックスシートの数にしても、車体の大きさにしても国鉄時代の大型ディーゼルカーに比べれば小振りである。それでも、何とかボックスシートを確保し、列車は発車。ここにきて、ようやく車窓をまともに眺めることができた様な気がする。
海沿いでは無く山側の座席であったが、西側であったことから、日差しにあたることなく車窓を眺めることができた。
まず最初の長時間停車の駅、紀伊長島。16分停車。ここでもお茶を購入。いったん駅から少し出たものの、大して目ぼしいものも無い。ただ、駅前の雰囲気などが、ローカルムード満点で妙に印象に残っている。駅舎内には、熊野市大花火大会のチラシが掲げられていた。臨時特急の乗車券の販売は、当日の午前7時からのみで、前日までの予約は出来ない旨が掲示されていた。
続いて、尾鷲で17分の停車。仕事をしている時や、帰宅する時の電車の待ち時間というのは、かなり気になり、5分でも10分でもおしい気がするが、旅行時の時間の感覚は日常のそれとは、大分違う。贅沢な時間の過ごし方をしていると感じるひとときである。ちなみに、尾鷲でもお茶を購入。
駅前にある日本通運の営業所の建物に注目。昔、東舞鶴の駅前にあったものを思い出した。
次の長時間停車は、熊野市21分の停車である。ホームに、那智黒石がおいてあり、名産をアピール。私は改札から出なかったが、やここ氏とM氏の話によると、売店には那智黒あめが大量においてあったとのこと。那智黒あめの名がここから来たことを初めて知る。また、熊野市のあたりも『那智』と呼ぶということにも驚いた。
列車は、新宮に刻一刻とせまる。このあたりまでくると、車窓に見える海が、見事な色をしている。鮮やかなマリンブルーに驚き、これが太平洋なのか?と驚く。光線状態が特に良かったのかもしれない。13時18分、新宮駅到着。到着前に川を渡ったのだが、その風景がなかなか印象的で良かったものの、カメラの準備は間に合わず、心の中にその風景は焼き付けられた。新宮駅を出ると、狭い駅前ターミナルをすぎて、すぐに中国風庭園を発見。今回の旅の目的地はこの公園である。
以前、新宮を訪れた時は、時間が早すぎた為、入ることが出来なかった。この時は、新大阪発の夜行列車でやってきたのだが、今はもうその夜行列車も区間短縮で紀伊田辺までとなり、夜行列車から最終列車となってしまった。時が移り変わるのははやい。
公園の名は徐福公園。徐福さんを慕っての公園らしいが、私は勉強不足で徐福さんを知らない。綺麗に整備されているが、大きさはさほど大きいわけでも無い。私は、何か撮影するものあるわけでは無いので、必死で遅いシャッタースピードで水の流れが撮影できないか試してみる。その数、10枚。同じ被写体で、さほど面白いわけでもなく、撮影する。後で消せるというデジカメの利点が行かされる。カメラの勉強をするは、デジカメはコストパフォーマンスが高いと思う。
徐福公園を20分程で後にし、次の目的地、紀伊勝浦に向かおうとするが、ここで2つの選択肢があること気づいた。当初予定では、紀伊勝浦で1時間22分の観光を行い、15時34分の電車で岐路に着く。しかし、時刻表を良くみると、この15時34分の列車は、新宮始発であった。ということは、紀伊勝浦に向かうかもしくは、新宮で1時間20分あまり過ごすか選択できるのである。結局、検討をしたものの、どちらでも良いということになったので、ジャンケン(茨木地方ではインジャンと呼ぶ)をして、新宮滞在が決まった。とりあえず、新宮駅から徒歩10分弱ということで、新宮城跡公園を目指す。
城跡の入り口には、整備中の為、歩きにくい旨の掲示。入り口は綺麗に整備されており、歩きやすいが一般道から見えにくくなったところは、未整備であった。しかし、すぐに整備されている場所に出くわす。掲示の通り、整備中であることを実感する。
新宮城跡公園の規模はそこそこ大きい。しかし、城跡を示すものは、石垣程度しか記憶が無い。もしかすると、他にもあったのかもしれない。それでも、石垣の上の砂利道などは、姫路城などを彷彿とさせる感じであるので、城跡公園であることは間違いが無いと思う。天守閣のあったと思われる場所につくと、さすがにかなり見晴らしが良い。新宮駅到着前にわたった川の真横に流れている。川を渡ってすぐのトンネルはこの城跡公園を貫いていたことも同時に想像できた。
ただ、急激なアップダウンの為、やここ氏は体調不良と相まって、熱中症の様な感じに陥ったと後刻話してくれた。
城跡公園で40分ほど見学(撮影)し、新宮駅を目指す。かなり天気が良かった為、途中涼もうということになり、大きなスーパーのクーラーの効いている店内を通り抜けしようとするが、思った方向に扉が無く、違う方向に向かってしまった。結局、新宮駅の裏側に出た為、駅本屋へ行く道を探したが、どうやら一番近いのは、少し戻ったところにある踏み切りの様だった。
そういえば、城跡公園で扇子の落とし物をM氏が発見。とりあえず、新宮駅前の交番に届けた。愛想の良い警察官が印象的であった。
新宮駅で、昼食の駅弁を購入。私は『生まぐろ丼』と名物の『さんま寿司』、やここ氏は『めはり弁当』を購入(M氏は、弁当を持参)。生まぐろ弁当は、どのあたりが生まぐろだったのか、火の通ったまぐろが入っていた。味は、特筆すべきところは無い。さんま寿司は、かなり好みの味であった。酢の具合が絶妙でこれは、おすすめできると感じた。
ただ、昼食をとった紀伊田辺行き普通列車は、パンダをあしらった観光向けと思われる列車だが、オールロングシートの2両編成ワンマンカー。旅の醍醐味とはいえ、恥ずかしかった。やはり旅行には、ボックスシートが良いと認識する。ロングシートは、長時間乗車には向かないと改めて認識する。新宮駅から約3時間乗車したが、往路の新宮行き普通列車としては、違う感覚で途中で疲れてしまい、後半は会話も無くなり居眠りをしはじめた。
乗客が入れ代わるわけでは無く、丹念に一駅・一駅停車する。17時41分白浜到着。様相が一変した。観光地であると同時に普通電車の乗り継ぎでもいけないわけでは無い距離。ゆったりロングシートが一通り埋まり、立ち客が出た。列車は、紀伊田辺までの30分間だけ、活況を呈した。
紀伊田辺17時55分到着。次の和歌山行き普通列車まで待ち時間48分。最後の途中下車駅の予定。駅から徒歩10分程度のところにある扇ヶ浜公園に出向く。お盆ということもあり、納涼盆祭りが開催されようとしていた。
夕日が太平洋から落ちていく。先祖送りが海岸沿いで行われ、煙が夕日にたなびいている様子。夕日が海に沈むとほぼ同時に、電車の発車時間が近づいた。来た道を戻る。先祖送りの人々とすれ違う。日がくれるのは早い、駅に着くころには、あたりは薄暗くなっていた。
18時43分紀伊田辺駅を出発。列車は念願のボックスシート。やはりこちらの方が落ち着く。旅行気分を味わえる。列車の編成数もかなり増えた様で、6両編成だったと記憶する。車内には、パンダ電車で一緒だった顔ぶれもちらほら見受けられる。
日がくれてしまった為、車窓はほとんどわからない。たまに見えるホームを見て、遠くまで来たことを実感する。列車は、和歌山まで丹念に停車する。
和歌山駅20時27分到着。12分の乗り継ぎで、快速京橋行きに乗り継ぐ。晩飯の調達を行おうとするが、時すでに遅し、駅弁は無い。コンビニエンスストアも駅前付近では見当たらず、キオスクの少し大きくなった店で、おにぎり、お弁当、パンなどを購入する。かなり澱粉質の多い食事だ。
快速京橋行きは、223系。関空快速用の3列シートタイプだ。乗り心地は、今までのものと比べて格段ち良くなった様に感じる。座席も直角で無く、座り心地が良い。ただ、どういうわけか長時間乗る時は直角タイプの方が私は好みだ(大垣夜行がムーンライトながらに変わった時も、何か眠りにくかった)。
和歌山でほとんどの座席が埋まり、ちらほら立ち客がいる程度。その後も乗客の増減もさほどなく、天王寺駅に到着。さすがに天王寺では客の入れ替えが多かった。天王寺〜大阪は、空席も目立ち、少しゆったりした感じ。21時58分大阪駅到着。
22時の新快速に乗車すれば、やここ氏とM氏は最終の一本前の草津線で帰れるのだが、乗り換えの時間を考えると、無理という判断。そういうわけで、草津駅で1時間待つぐらいならばということで、青春18切符の同一行程というわけで、普通列車で茨木駅に立ち寄ってくれた。
しかし、新快速が5分程遅れていたことから、ゆうゆう乗り継ぐことができた。しかし、乗り継ぐと私が茨木駅で下車できない。車掌に言って、一駅手前からの茨木までの乗車券を発行してもらわなければいけない。その様な時間も無い。その為、最終列車の選択をしてくれた。
このあたりは、同一行程で利用する際の大きな弊害の様に感じるが、JR側としてはサービスなので、利用者負担を強いているのだろう。ただ、近郊区間では車掌に乗車券を求めること自体が難しい様に感じる。何かいい手だては無いものかと考えつつも、22時20分、南紀一周旅行が終了した。
本当に長い、長い一日であった・・・。
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