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島根県右往左往 その4(2002年7月6日〜7日)

 

 小一時間ほど見学を楽しんで、車に乗り込みます。近くに三笠公園というのがあるというので、それに向かおうと思ったのですが、順路がよく分からなかったので、あきらめ、吉田村・・・と思ったら、時間が押していることに気づきました。19時20分の出雲空港出発の飛行機に搭乗する予定で、車の返車時刻は18時30分になっています。現在の位置から出雲空港までは約2時間と見積もって、帰るまでにどこかの温泉につかりたいと思っていましたので、それで1時間を削減。お昼ごはんも食べたいので、30〜1時間程度差し引くと、移動時間を含めて2時間程度しか余裕時間が無いということになります。これでは、吉田村に立ち寄ることは難しいということで、横田町にある、『奥出雲たたらと刀剣館』に立ち寄ることに急遽変更しました。ここだと、帰り道に立ち寄れます。

 奥出雲たたらと刀剣館は、美術系の専門学校の向かいにある為か、道に妙なモニュメントがあったりして驚かされます。また、隣はガラス工芸の体験ができる施設もあり、横田町の文化施設が集まっている様に思います。丘の上にある為、見晴らしも良い様で、展望台へあがる道などがありましたが、今回は時間的、体力的な都合から割愛しました(^_^;
 入館料は510円。島根県の資料館の中では高い方かもしれませんが、絶対的金額からいくと高くは無い値段だと思います。施設は、かなり力が入っている様で、たたらの釜などが再現されており、資料館としてきちんと説明がなされています。どうやら、日本美術刀剣保存協会(以下日刀保)が横田町内に和鉄の技術保存の為にたたら場を再現したことを受けて造られた様で、日刀保たたらについての説明を中心に和鉄の製造過程や歴史、横田町内の名工の紹介などがあります。また、資料館の建物の外には鍛冶の実演も特定日(第2・第4土曜日だった記憶しています)に行われている様です。
 和鉄の全盛は江戸後期〜明治にかけてだったそうで、大正時代に洋鉄におされて、次々と廃業、今は技術保存目的の日刀保たたらのみになっているそうです。あまり詳しいことは覚えられなかったのですが、材料に対する鉄の生産性が著しく劣るらしく、洋鉄にたちうち出来なかったとのことです。ただ、それだけ材料を大量に使うわけですから、品質は抜群らしく、刀剣を造るにはかかせない材料とのこと。それを聞くと、どうも日本の工芸らしいと思ったりしました。
 最近の施設で良くある映像シアターも併設されており、こちらでは、八岐大蛇伝説についてアニメが上映されていました。入り口横には、八岐大蛇の説明がありそれをアニメ化しているのですが、子ども向けに造っている為か、なかなか意訳されており、面白かったです。

 そこから資料館の方に戻る時に、「資料館へ入場の方は、玄関へ回り入場券をお買い求めください。」と書かれています。これをわざわざ書いてあるということは、この資料館の別棟になっている映像シアターと鍛冶の実演などは無料で見学できるということなのか?と思うのですが、そのあたりは定かではありません。ちょっとばかり疑問に思いながら、資料館を後にしました。


 次は温泉と思ったのですが、吉田村に行く用事も無くなったので、亀嵩の駅そばを食べることにしました。久しぶりに立ち寄る亀嵩駅なのですが、雰囲気は変わっていません。駅そばとはいうものの、駅業務はもう行われていませんので、駅舎にあるそば屋さんでしか無いのですが、駅に人がいるという安心感というか存在感というのがあり、狭い待合室や改札後もそのままなので、古い田舎駅そのままといった感じがあります。15時前というわけで、お客さんは一組だけでしたので、閑散とした様子。割り子そば定食を注文しました。
 割り子そばにごはんとおかずが2品ついているといったものなのですが、割り子そばは、通常3段のものが2段になっています。個人的には、おにぎりが食べたかったのですが、メニューに無かったので、定食としました。
 割り子そばの味は、前と変わらずなかなかのお味ですが、すっごく評価されるほどのことなのかな?と思います。確かに駅そばに比べると、一線も二線も違いますが、値段も違いますからね。コシのしっかりとしたおそば屋さんといったところだと思います。駅舎を利用しいてるところが、一風変わっているといったところでしょうか?雰囲気はともかく、おいしいことに間違いはありません。

 ここで、仁多町の案内マップをもらって、このまま出雲空港方面に向かって、いりすの丘の温泉に入るべきか、他にどこかいいところがあるのか探していると、そう言えば、松本清張の砂の器の記念碑があることを思い出しました。数カ月前に読んだばかりですので、ちょうどいいやとそれを一応見に行くことにしました。ただ、砂の器で亀嵩の地がでてきたのはわずかで、それもあまりいい雰囲気では書いてなかったんですが、何故記念碑ができたのかは謎だったので、なにか書いてあるだろうと、そちらに向かうことにしました。
 地図には、その先に亀嵩温泉というのがあり、日帰り入浴が可能らしいとのことが書いてあるので、温泉もそちらにすれば一挙両得。残りの滞在時間も短くなってきたことですから、現在地から近い亀嵩温泉と砂の器記念碑に向かうことにしました。

 ところが、近いと思っていた亀嵩温泉まで、意外と距離があったんですよね。亀嵩温泉というから、てっきりJR亀嵩駅から徒歩圏内だと思っていたのですが、3〜4キロ程度離れたところにありました。このとき、初めてしったのですが、亀嵩の集落は駅周辺ではなく、亀嵩温泉付近だった様です。亀嵩温泉付近に小学校や郵便局などがあり、こちらの方が開けている感じでした。亀嵩駅は、集落かなり離れた位置にあった様でした。亀嵩温泉は見つかったんですけど、砂の器記念碑は結局わからずじまいにだったのですが、そちらは帰りにちょっと探せばいいということで、亀嵩温泉の駐車場に車を止め、温泉につかることにしました。


 思っていたものとは全然違うとっても大きい施設で、玉峰山荘という名です。駐車場もかなり広く、観光バスも2〜3台停車している様子でした。簡保の宿らしく、それも新しいので、特に人気がある様にうかがえました。建物の中に入るとフロントがあるのですが、日帰り入浴客は、そのまま素通りして温泉入り口の方へ向かいます。入浴料は500円と格安に思えました。浴場入り口のフロントで券と下駄箱の鍵を渡すと、ロッカーの鍵を渡してくれる仕組みで、フロント横に『再入浴をご希望のお客様は再入浴券をお渡しします』と書かれてあります。こういうところの日帰り入浴って1回限りが多いのですが、そうでは無いというところに、懐の大きさを感じ、好感を覚えます。とは言え、時間が無いですから、再入浴なんてできないですけど・・・。ここの売りの一つが『砂風呂』で、こちらは予約制になっているらしく、私がいった時間は空いてませんでした。30分ほど待てば利用できた様なのですが、時間との戦いに入ってきていますから、これは次回の楽しみにとっておくことしました(ちなみに砂風呂は大浴場利用料込みで3000円)。
 お風呂に入ると、あまりの設備のよさに驚きです。新しいということもあるのでしょうか、露天風呂の広さ、ゆったりさにお退き増した。そりゃ、観光バスが数台もやってくるわけで、館内放送で、女性用お風呂が混雑しているので、入浴受け付けを一時中断しているとのこと。男性用はそこまででは無いにしても、洗い場がほとんど埋まっている状態で、入浴客は多いようでした。ジャグジーや水流マッサージ、打たせ湯、サウナ、露天風呂と一通り揃っており、この日は内湯が檜風呂で、露天風呂が岩風呂にっていました。話によると、もう一つが内湯が岩風呂で、露天風呂が檜風呂になっているそうです。お湯の温度がちょうど良く、のんびりゆっくりと入れます。人が多いのですが、子供が少ない為か、全体的に静かで、露天に使って、青空を眺めながらぼ〜っと旅の疲れを癒しました。静かにお風呂に疲れる幸せってこんなことなのかと、妙に実感しました。もしかすると、今まで入浴した日帰り露天風呂で一番のお勧めかもしれないと大層気に入りました。


 小一時間ほど玉峰山荘でのんびりとして、一路出雲空港を目指すことにしました。とその前に、砂の器記念碑なのですが、往路にどうして見逃したのか、亀嵩温泉に近い位置にありました。といっても、これといったものではなく、記念碑と説明文と椅子がある程度で、さほど力が入っているわけでは無いように思いました。建立されたのが、昭和59年ですからそれから約20年弱になりますが、少しも色あせることなく、綺麗な状態が保たれているというところに驚きがありました。説明文を読むと、どうやら映画が制作されたときに、亀嵩で撮影が行われたそうで、亀嵩の名を国の内外に広く知られるきっかけを作ってくれたといった様なことが書かれてありました。亀嵩観光協会と砂の器記念碑建立委員会の名が刻まれており、おそらく、砂の器が上映された頃は、いろんな特需があったのだろうと推察することができます。妙に観光施設を作るよりも、記念碑にしたというのも一つの手段だと思うのですが、それを20年たった今でも維持管理するというのは大変な苦労だと思います。よく、記念碑はあるものの・・・といったことになるのですが、こちらはもしかすると20年前と変わらぬ美しさを保っているのでは無いかと思わせるぐらい、整備されていました。再整備された直後かもしれませんが、それでも、再整備したということに意義があるのだと思います。


 ということで、あとは帰るのみ。一路出雲空港を目指して車を走らせます。国道432号をまっすぐに進むと、松江にでるのですが、目的地が出雲空港な為、往路と同じく、国道314号から国道54号を通るルートを選択しました。車の交通量はさほど多くなく走り易いのですが、木次町内に入ったときにふと、国道54号を止めて、斐伊川沿いを走ることにしました。信号がないので、もしかしたら、こちらの方が早くつくのでは無いかと思ったのですが、国道9号に出た途端に混みますし、距離も出雲空港から離れたところに出ちゃいますので、結果的には時間のロスが大きくなる様でした。木次市内では、大きな道路がたてられており、どうやら高速道路の様です宍道〜木次のルートの様で、たしかにある程度の効果は見込める様ですが、国道54号に並行する道路を作るよりも、国道9号に並行する道路をもっと早くつくるべきではないかと思うのですが、どうでしょう?どうも、宍道〜松江のみ開通している山陰自動車道は中途半端な感じがしてしょうがありません。せめて、出雲、できれば大田ぐらいまでいくと、利用価値もぐっとあがり、国道9号でビュンビュン飛ばすトラックなどが移動して便利に、かつ安全になると思うのですが・・・。まぁ、国道54号もかなりトラックが走っていますから、それはそれで効果があるのかもしれません。

 斐伊川沿いを走っていると、斐伊川にうつる夕日がなんとも幻想的で、写真を撮りたくなってしまいます。とはいえ、車の運転中ですし、路肩に止めて写真をとる時間もありませんから、記憶にとどめる程度。というよりも、写真で夕日をとっても、綺麗に撮れた試しが無いですから、こういうのは、記憶にとどめるのが一番だと思います。でも、車を運転しているので、ゆっくり見る事ができません。妙にじれったい気分にさせてくれます。

 でも、やっぱり、来て良かったと思う島根県でした。なんだか、何から何まで充実していたと感じた、7月の島根旅行でした。
 さて、次は9月の島根かな(^^ゞ

 

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