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島根県右往左往 その3(2002年7月6日〜7日)

 

 これで、パソコンの電子地図を思う存分使えます。しかし、結局、電気屋さんで購入するのに、品物の検討などで時間がかかって、結局8時30分過ぎになってしまい、今から広瀬富田城に向かっても温泉には入れないだろうと、松江から近い温泉を探すことにしました。まず。思いついたのが、「来待温泉。玉造温泉の隣で、一度行ってみようと思いながらも、なかなか機会が無くて、訪れることが出来なかったのです。
 国道9号を西に走って、来待駅を過ぎてから左折、そのまま来待ストーンの前を通って、来待温泉へ向かうのですが、来待ストーンの手前の凝った建造物がライトアップされています。暗闇の中で、ぼ〜っと光る建造物。実は、下水処理場らしいのですが、なんとも、幻想の世界に迷い込んだ気持ちになります。
 来待温泉に到着すると、思ったよりも車が多く、人気がある施設なんだなぁと思って、いざ温泉に。横にそば屋さんも併設されているので、今日の晩御飯はそばだなと心に決めて、温泉に向かうと、営業時間は午後9時まで。時計を見ると、8時50分。入浴受付最終は8時30分とありました。残念ながらあきらめねばなりません。
 それじゃぁ、どうするかということなんですが、こうなると遅くまで開いている日帰り温泉ってことになるのですが、この近くとなると、心当たりは、玉造温泉のゆ〜ゆ館になります。以前に入浴したことがあるので、確か間違いなく10時まで開いていることに自信がありました。それでも、早めに行くに越したことは無いですから、晩飯のそばをあきらめて、玉造温泉へ向かうことにしました。

 このあたりは、何度もきているので、だいたい道がわかってきており、そのまま南に下って左折、広域農道を利用して、玉造温泉へ向かいました。あたり一面は、暗いというよりも、闇といった雰囲気です。玉造温泉街に到着すると、さすがは温泉街です。きらびやかなネオンがひかり、何人かの温泉客が歩いていました。

 玉造温泉ゆ〜ゆ館に入ると、営業時間は23時まで。最終入浴受付は22時20分とありました。ということで、ここでのんびりと入浴。有名な温泉の日帰り入浴施設とあって、ツーリング客などを中心にかなりのお客さんが入浴されていました。玉造温泉ゆ〜ゆ館は今年の1月にやって来た時と、施設そのものに変化はなかった様でした。

 さて、晩御飯となったのですが、開いている店もあるわけでは無いので、面倒になって、屋台のラーメン屋さんを利用することにしました。塩ラーメン700円だったかナ。味は、普通のラーメンで、良く考えると、今日は、朝食に朝食用の半分の大きさの駅弁の幕の内を食べたっきりでしたので、かなり長いこと食事をしなかったということに驚きました。時間が無くて、割愛していったらこうなったというわけなんですが、飲み物はかなり飲んでいますから、「飲まず喰わず」といった状態ではなかったので、持ったのでしょう。
 台風の影響の風があるので、気持ちよくラーメンをいただけました。

 さて、今日は車中泊となる為、どこで車を止めようかとなったのですが、ここはやはりおろちループということで、23時頃に玉造温泉を出発、広域農道を西に進路を向け、国道54号線に出て、木次より国道314号というルートにしました。広域農道を走っていると、すごい星空が頭の上に広がっています。玉造温泉では、周囲が明るいということもあり、ここまて見れなかったのですが、驚きです。でも、車を止める路肩もままならないので、そのまま移動。
 国道54号に入ると、街灯の関係で星がさほど見えません。ところが、中国山地にさしかかる国道314号に入ると、途端に闇が広がり、星空も先程見たものと同じくらいのものが、広がります。また、うまい具合に広い路肩があったので、そこで車を止めて、星空の撮影を試みることにしました。7月6日、七夕の前日の星空で、天の川が綺麗に見えます。これだけ、綺麗に見えるとなると、なんとか星空の撮影はかのうだろうと、レリーズを取り出して、最大露出時間30秒で撮影してみました。何枚も撮影したのですが、後で、撮影結果を見たら、真っ暗闇。私の持っているデジカメの限界を感じました。ということで、星空撮影は、その後も広島県西城町でも行ったのですが、こちらも完全に失敗でした。ISO感度をあげると、ノイズが目立ってしまい、星空とノイズの区別がなかなか難しかったりで、思った様には撮れません。

 そのまま314号をひたすら南へ下り、3段スイッチバックの駅、出雲坂根駅で停車。有名な延命水を汲みに駅構内に立ち入りました。駅舎内に電気はついているのですが、弱い光で、あたりは真っ暗。延命水が湧き出ているところも真っ暗で、確か、階段があったはずと、おそるおそる歩いて行った次第です。さらに、水が出ている音はしているのですが、いったいどの位置なのかを手さぐりでおこなって、ペットボトル入る音で、満水かどうかを図るといった具合でした(^_^;
 めでたく、冷たい延命水を汲み終え、おろちループに差しかかります。あたりは、真っ暗ですが、大蛇ループを照らす街灯が意外にあかるく、仮眠を取るのには適しないということで、おろちループを超え、三井野原の駅も過ぎてしばらく行ったところにあった、路肩に車を止めて仮眠をとることにしました。

 仮眠どころか、ぐっすりと眠ってしまっていた様で、翌朝起きたのが午前10時・・・(^_^;
 エンジンを止めていたのですが、気温的には心地よく、暑くもなく寒くも無いといったところ。木陰に止めていたのが幸いしたのだと思います。とりあえず、朝食などを求めに、道の駅おろちループへ向かうことにしました。
 観光バスが何台か停車しており、乗用車もやってきており、沢山とは言えないまでも、それなりに賑わっている様子です。おろちループという巨大なループ橋と、木次線の三段式スイッチバックが功を奏した様で、この奥出雲の地に活気を持ってきたと言える様に思いました。このループ橋がなければ、仁多郡横田町に訪れることが無かった人が沢山いたのでは無いかと思います。ただの国道ですが、これだけ大きなものか出来るとなると、観光の目玉に出来るのだと思いました。


 ただ、この道の駅は、売店というよりも即売所の様な雰囲気で、レストランも簡易的なものしかなく、特にここの名物といったものが売られている様子が無いので、いま一つだなぁと思い、特に何も購入せずに道の駅を去ることがしばしばありました。今回は、せっかくなので何か無いものかと探すのですが、特に私が気に入ったものは無く、道路を渡った反対側にある展望台に向かうことにしました。跨道橋で展望台の方へ迎えるのですが、そちらの方に、「交流館三国」という建物があることに気づきました。建物としては、ちょっと綺麗な道の駅といった感じで、中は、お土産物屋さんとレストランがあるといった状態で、これまた道の駅の様な感じです。ただ、先の道の駅がメインで、こちらはサブといった形になっている為か、お土産ものの数も多く、レストランも簡易食堂タイプでは無く、きちんとしたレストランであるにもかかわらず、お客さんは、先の道の駅の1/10程度にしか見えませんでした。というか、私も2〜3度おろちループにやってきましたが、こんな施設があるのなんて知りませんでした。
 ということで、交流館で朝食をとることにしました。何にしようかと悩んだのですが、サバの味噌煮込み定食としました。メニューを見ていると、仁多米を前面に押し出しているのですが、おかずでこれ!といった売りはあまり無い様で、定食としては、このサバの味噌煮込み、とんかつ、焼き肉といった具合でありふれたものが中心。その中で、サバの味噌煮込みが一番、この付近の名物だろうと踏み、こちらを注文しました。お値段は、900円。朝食にしては高いかもしれませんが、時間は11時を過ぎていますから、昼食時間。店員があまりいていので、注文するのに厨房の近くまで行って声をかけるといったことはあり、接客的にはいま一つだったのですが、お昼前の忙しい時間故のことだったと考えれば納得です。
 出てきた、サバの味噌煮込み定食なんですが、これ、かなりおいしかったです。前回来た時に食べた木次町のサバの塩焼きに比べると、よっぽど食べやすいですし、脂っこくない。柔らかく似これており、仁多米のご飯と良く合うといった印象でした。


 朝食を終えると、交流館三国の横にある展望台にあがることにしました。細い山道を登っていくと、おろちループを眺めることが出来る高い位置に行けるのですが、木々が青々と繁っており、展望台からはおろちループが一望というわけにはいきませんでした。と、その時汽笛の様な音を耳にした気がしました。時計を見ると、12時前。ちょうど、臨時列車のおろち号が出雲坂根の三段式スイッチバックを通る頃でした。もしかすると、と線路を方に目をやると、プッシュプルで客車2両を前にディーゼル機関車がゆっくりとゆっくりと坂を登っていくのが見えます。急勾配でゆっくり上がっているのではなく、おろちループを見せる為に、この三国山の渓谷美を見せる為に本当にゆっくりと上がっていきます。「あれ、やっぱり乗りたかったなぁ」と思ったのはいうまでもありません。
 列車が三井野原へ向かったのを見送って、展望台から降り、新平家橋のたもとにあるループ展望台に立ち寄りました。こちらも、木が鬱蒼としげっており、おろちループを一望というわけには行かなかったのですが、奥出雲おろちループ愛称碑があり、メインの展望台だった様です。今は、観光客の流れが道の駅奥出雲おろちループになっているので、こちらの展望台はひっそりとしています。
 しかし、開通したのが平成4年4月ですから、それから10年が立ったわけです。10年たつと木々も成長してしまったので、展望ができない状態ですから、これはなんとかしないと、観光客誘致の支障になるのでは無いかと思った次第です。
 ちなみに、このおろちループは、高低差105Mの2重ループ端で、区間長2360mと高低差では岡山県の湯原ループを、区間長では宮崎県のえびのループをを抜いた日本最大のループ橋だそうです。それ故に、観光に力が入るわけでして、その効果たるものも出ているそうで、これにより国道を走るバスの本数が増え、バスが増えたので、地域住民の移動も活発化してきたという相乗効果が得られているそうです。ただ、JR木次線はおろち号以外は、縮小傾向にあるのですが・・・。


 おろちループをあとにし、今日の目的地、吉田村の鉄の歴史資料館へ向かうことにしました。ここ、大阪で開かれた島根物産フェアの際にもらった観光案内に掲載されていたのですが、吉田村のたたら場が『もののけ姫のモデル』になったとのこと。そんなわけで、鉄に関しての資料館に立ち寄ろうと思ったわけです。国道314号をきたへ走ると、ふと横田郷土資料館の看板が目につきました。せっかくやってきたので、立ち寄ってみようかと思い、車を駐車場に止めることにしました。
 入館料210円とこれまた安いお値段なんですが、古いたたずまいの大きな農家の家があり、その中を見学できる様になっている様です。看板を読むと、生活様式や建築様式が大きく変貌する時期にあり、奥出雲横田の地に住み着いた先人たちの農業や生活の有り様を構成に語り使えるのを目的として設置されたそうです。

 建物は、納屋と母屋と土蔵の3棟で、納屋が受け付けになっています。ここでは、受け付けの年輩の女性が掃除をされていました。見学の意志を伝えると、お客さんが少ないらしく個人で、それも一人で訪れるお客さんは珍しいらしく、見学者であるということを理解していただくのに、少し間がありました(^_^;
 あいにく、日曜日で職人さんがお休みだったのですが、この受け付けの奥では藁細工による民芸品の制作が行われているそうです。そられの制作されたものは、全て販売されているのですが、芸が細かく、お値段もそれ相応というわけで、私にはちょっと手がでませんでした。本当にお客さんが来ないのか、母屋にあたる保存館に入ると、受け付けの方が電気を付けてくれて、案内放送のスイッチを入れてくださいます。説明によると、明治時代中期の上層の農家を移築したものだそうで、かなり大きな間取りになっています。こういう建物のほとんどの場合は、1階だけ開放されているのですが、こちらでは、二階も開放これており、そちらに農業の道具などが展示されていました。
 大きな靴を脱いで、座敷にあがり、妙に物思いにふけってみます。案内放送が終わると、鳥のさえずりと風に揺れる木々の音以外何もせず、心地よい風が入ってきます。あまりにここちよく、10分程度、ぼ〜っと座敷から庭を眺めていました。

 二階の農業道具の展示は、もう少し説明があった方がいいと思いましたが、そのあたりは二階用の案内放送が補完してくれました。この案内放送、二階にあがったところにスイッチがあり、これを押すと流れる仕組みになっています。聞き逃したら、再度押せば良いので、なるほど効果的だなぁと思いました。二階の展示で私が一番目をひいたのは、農家の一年といった年表でした。あと、移築する際に、非常用シューターが取り付けられていたのが、妙に目につきました。展示とは全然関係が無いんですけど・・・。

 あまり長いもできないので、続いて土蔵へ。江戸末期の地主さんの米倉を移築したものだそうで、こちらも一階・二階にわかれています。一階には、玄米ともみの選別に使用する「とうみ」という道具が多数展示されていました。横田町の林製作所さんのものと、山口県で作られたものが5〜6機展示されており、「とうみ」の移り変わりを知ることができます。こちらももう少し説明が欲しいところなのですが、なにか一つの道具に絞った展示というのは、なかなか見応えがあります。二階は生活用品が中心で、お雛さんや祝膳などが展示されていました。この土蔵、江戸末期のものを移築してきたというのですが、改修がすごいのか、妙に綺麗で本当に江戸末期のものなのかと疑ってしまいます。

 

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