週末は、思ったほどの天候の崩れもなく、心地よく過ごせた感じでしたが、みなさんはいかがでしたでしょうか?私は、特に予定がなかったので、図書館と博物館に行ってきました。
ひょんなきっかけで、兵庫県伊丹市岩屋エノコダという地番について興味を持った事に始まります。現在は、住居表示がになっていますので、エノコダという地名は表に出てくることはほとんど無いと思うのですが、つい最近まで使われていたんですよね。たまたま職場の後輩がそこに住んでいて、どっからその地名が来たんだろう?という疑問が沸いてきて、調べてみることにしました。ちなみに、その後輩も由来は知らないらしく、『なんで、カタカナの住所やねん』って言ってました。
まずは、調べものの常套手段であるインターネットを使ってみるのですが、それに該当する情報は見つからず、こりゃ図書館か郷土系の博物館に行かないと答えはでないなという感触だけつかめた状態です。
ということで、土曜日のお昼から、私の地元、茨木市立図書館に行ってきました。北摂では大きい図書館で、蔵書数も抜きん出ている中央図書館なんですが、残念ながら、伊丹に関しての資料は皆無と言っていいほどでした。ちなみに中央図書館は、15年ほど前に移転しまして、自宅からかなり不便な位置にありますので、移転後初めて利用しました。確かに大きくて、色々な本があるんですが、今の私には、使えない図書館でしかありません。茨木市の周辺自治体の資料はあるものの伊丹となると置いていないようです。
結局、2時間ばかりを費やしたものの、成果は特に見つからず、中央図書館を後にしました。大阪の中の島図書館なら…と頭をよぎったのですが、土曜日の閉館が午後5時とのことで断念。翌日曜日に伊丹市図書館もしくは伊丹市立博物館に向かうことにしました。
お昼過ぎに伊丹市立博物館に到着。一通り、館内の展示を見たのち、伊丹市史を手始めに、資料を読み漁りました。結局、閉館まで粘った甲斐があり、複数の本から、私なりの答えを導きました。
と言うことで、2日間の成果ですが…
まず、伊丹市の岩屋地区は、戦後まもなく、伊丹市に合併されています。それまでは、神津村の大字で、更に前の明治の始めころは、岩屋村という一つの自治体でした。神津村の伊丹市への合併の直接的な動機は伊丹空港で、神津村の8つの集落のうち、2つは消滅、5つも消滅はしなかったものの一部もしくは大半が空港敷地となったそうです。
岩屋地区もその一つで、この地区は、昭和30年代の伊丹空港B滑走路整備工事の際に、集落のうち斜めに半分が空港用地となったそうです。その際、岩屋の集落の人々は、集団移転を要求し、結果、岩屋地区の空港用地外の元々田畑だった場所に移住されたそうです。
この前提条件を頭に入れた後、伊丹の古地図、絵地図を集めた本があったので、そこの岩屋村を見てみると、綺麗に整備された条里制の区割りが確認できました。また、各区割りに名前が書かれてあり、今回調べている、エノコダの名前も確認できました。と同時に、エノコダは『エノコ田』であることも発見。田んぼの名前だったんだと驚きました。
同様に、他の村においても、エノコ田の名前の区割りはある様で、たまたま空港建設により消滅した中村集落の絵地図にもその記述が確認でき、一般的な名前なのかな?って考える様になりました。
その絵地図には、伊丹市史の1巻に、明治期の岩屋集落の地図を掲載しているとのことなので、それを参照。すると、そこには区割りの名前の他に、条里制の坪番号も一部記載されていました。つまり、田んぼの区割りと呼んでいたものが、条里制の坪のことで、伊丹市史によると、エノコ田は10番になっている様です。
ちなみに、岩屋地区でも、もっとダイレクトに、五ノ坪といった名前や字を少し変えた矢ノ坪といった名前が残っているのですが、私が今回焦点をあてているのは、エノコ田。となりの坪は、『シンジ』となっているので、余計に分かりません。
とここまで調べたところで、閉館時間となってしまい、以後は自宅で調べることになります。ただ解決の糸口が見つかっただけでも大きな成果。エノコに何らかの坪番号の意味が隠されているのではないか考えました。
帰り道すがら、エノコダの隣のシンジは、十一が訛ったものじゃないかとふと思い付きます。ただ、十一よりも、十ニが訛ったものと考えた方が自然だなあとも思います。
自宅に戻って、エノコと数字の関係を調べることにしました。まず、最初に疑ったのは、十支と十二支。しかし、エノコに近い音韻は見つからず断念。
次に、単純にエノコで検索してみたところ、『エノコロ草』という草があることが判明しました。しかし、『ロ』が余計なんですよね。そのものずばりのエノコを期待したのですが、これがなかなか出てこない。ここまでかと泣かば諦めかけた時、エノコロ草の語源が目につきました。というか、エノコロ草ってそもそもなんなんだ?ってことですね。
エノコロ草とは、一般的に言うネコジャラシのことで、その形から子犬の尻尾に似ているということで、犬の子…エノコと名付けられたそうです。戌子もしくは、狗とも書くそうで、ロに付いては、『イヌコロ』という表現と同じロなのであまり意味がないとのこと。ということは、エノコはエノコロ草を指すと考えられ、エノコダの地名は、エノコロ草の多い田んぼって意味ではないかと結論付けようと思ったのですが、どうも、しっくりこない。何となく坪番号との関わりがあるはずという疑念が頭から離れません。
で、再度、伊丹市史にあった地図のエノコダ並びに周辺の、坪番号を見ていると、ふと、エノコだとシンジの坪番号が間違っている可能性があるんじゃないかと思うようになりました。その地図は、明治期に作られた坪番号の復元図で、番号は振られているものの全部ではなく、抜け落ちも多数あります。ただしっかりと、エノコ田が十、シンジが十一となっています。ひとつ北の、町田は九、南のモゝガ本は十三。町田の横には、東町田があるのですが、これには坪番号が振られていません。で、仮に東町田を十にして、一つずつずらしても、モゝガ本の十三は変わりません。シンジの坪番号は、十二になるので、十二が訛ってシンジになったと言う説も使えそうです。
そして、エノコ田が十一である理由。これは、犬。つまり、干支でいう戌。これは子から数えると、十一番目となるわけで、エノコ田=11ノ坪を指していると考えられると結論付けました。
最終結論は、個人的見解でしかなく、信憑性は皆無ですが、私としては納得。検証するためには、他の集落のエノコ田の坪番号を当たって見るのがいいんですが…はてさてどうなんでしょう。
で、まあここまで考えて思ったのは、中学生の夏休みの自由研究に使えそうってこと。学校だったら、先生に検証してもらえて、楽なんですけどねぇ。
※今日は、全編携帯で書きました。延べ、2時間もかかっちゃいました…。